今日は「なぜか上海」である。1979/8シングル盤としてリリースされている。島国日本から大国中国へ渡るというイメージは、閉じ込められていた拘置所から開放された状況そのものではないだろうか。「迷走する町」が前編だとすると、この曲は後編ということになりそうだ。
絶望から再出発しようとする強い意思を、自分の好きな船旅に例えているわけである。しかも「冷たい部屋の世界地図」をつくった頃と同じような再出発という心境を思い出しながら。「水平線の かなたにあるだろう 僕の行く国」とは、上海だったと気付いたのかもしれない。また、メロディーと高中正義さんのギターサウンドが陽水の心境を語っているようで、陽水の曲作りに対する壮大な物語を見ているようだ。ただ、なぜ上海が浮かんできたのかは、タイトルが示すように、陽水自信にもわからないようだ。
「星が見事な夜です 風はどこへも行きます はじけた様な気分で ゆれていればそこが上海」 。満天の星を眺めながら、心踊らせ、船旅で西に進んでいると、やがて夜明け頃に上海が見えてくると。「はしからはしのたもと お嬢さん達 友達さそ さそ さ さそっておいで すずしい顔のおにいさん達」。船旅は再デビューの頃と違って一人ではなく、お嬢さん達やおにいさん達も一緒である。このフレーズは、多くのミュージッシャンに楽曲を提供しようとしていることと関係があるようだ。
「海を越えたら上海 どんな未来も楽しんでおくれ 海の向こうは上海 長い汽笛がとぎれないうちに」。ワクワクするような未来を想像していて、その象徴が上海であるらしい。ここで言う「長い汽笛」とは、陽水に対する多くの曲作りの依頼のことだろう。「流れないのが海なら それを消すのが波です」。黙っていては何も始まらないので、何か行動を起こさなければと心に誓っているようだ。「こわれた様な空から こぼれ落ちたとこが上海」。何をしたらいいのか分からない混沌とした状態から一歩抜け出した心の動きの象徴が上海なのだろう。
「ギターをホロ ホロ ホ ホロッとひいて そしらぬ顔の船乗りさん」、「長い汽笛がとぎれないうちに 海を越えたら上海 君の明日が終らないうちに」。心踊るような心境ではあるが、曲作りへの依頼があるという状況を大事にしながら、あくまでも冷静な態度で曲作りに挑もうとする陽水らしさが見え隠れしている。