今日は「迷走する町」である。1978/7にリリースされたアルバム「White」に収録されている。曲調全体から感じ取れるのは、静寂と絶望感ではないだろうか。整然と機能していたものが全く機能しなくなってしまったと感じているようだ。また、どこかに閉じ込められていて、自由に出歩くこともできない。特に夜は、冷たい雨が降り続いているような冷え冷えとした様子がうかがえる。
1976.9大麻で逮捕され拘置されていた時の心境を表現しているようだ。「絡み合う鉄道 かすれる汽笛」。都会に張り巡らされていて、自由にどこにでも行けた鉄道が、あたかも絡み合っていて、何処にも行けないように感じているようだ。「しわがれた道路に 重なる車」。整備された道路さえも、まるで朽ち果てたようになり、そこに多くの車が重なりあってでもいるように見えているようだ。「限りない空から 落ちてきたのは 行く先を忘れたジェットエアプレーン」。そして、旅客機に到っては、行き先もわからないまま、飛ぶこともできないと感じているということか。「冷たい雨の夜が来る 幸福 とり違えたまま 飛べない」。夜を迎えると、冷たい雨が降りしきるような冷えを感じながら毛布にでもくるまってじっと夜明けを待っている姿が想像できる。
「語り合うたびごと 話題はそれて、許し合うにつれて ゆがんだ瞳」。話し相手といえば、時々見廻りに来る看守ぐらいのものであろう。事務的な話だけで、世間話さえできない有様だ。「この町のみんなが 憶病になり 秘密を もつ事は禁じられてる」。この町とは、拘置所のことである。 全員、自分の犯した罪については、正直に話すよう強制されていると。「おまつりでにぎわう 桜の広場 選ばれた人には花輪を飾り 踊り子はカメラとペンをかかげて たいくつな人に娯楽を与える」。このフレーズは、慰問に誰かが来て、中庭あたりに全員集められ、ゲームのようなことをやっていて、積極的に参加した人には、褒美が与えられているということだろう。
以上のような状況から、1978/10に執行猶予2年が終了しているが、今後、以前のように歌手を続けていけるのか、相当な不安を抱いていたことが分かる。その不安を払拭するかのように、1978/8石川セリさんと結婚し、そして1980年代になると、山口百恵さんを初め多くのミュージッシャンに楽曲を提供している。
これらの新しい取組は、「My  House」で語っていたように、かなりの苦痛を伴うものであったが、まるで回りとの繋がりを取り戻すかのように積極的に取り組もうとしている様子が伺われる。前回「つめたい部屋の世界地図 」で、他人に頼らず、一人でやって行こうとする決意が示されていると書いたが、それはあくまで、一般社会と同じ世界にいることが前提にあるのだろう。そういう意味では、逮捕によって、一般社会から隔離され自身の歌手生活も続けられないかもしれないと感じていたのではないだろうか。