今日は「つめたい部屋の世界地図 」である。1972/12リリースのアルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」に収録されている。
陽水の故郷は、福岡県筑豊であるが、そこは炭鉱の町で、石炭を洗うために川の水が真っ黒であったとコンサートで語っている。一方で、父親の生まれた高知県に行った時、川も海もあまりにもきれいだったことに感動して、「海へ来なさい」という歌を作ったとも語っている。つまり陽水には海への憧れがあるようだ。
「はるかなはるかな 見知らぬ国へ ひとりでゆく時は 船の旅がいい」。歌手として再デビューし、徐々に人気が出てきたとは言え、先が見えない状況を表現していて、憧れである船旅に例えているのである。また他人には頼らず、一人でやって行こうとする決意が示されている。「波間にゆられて きらめく海へ 誰かに似てるのは 空の迷い雲」。しかしながら、この先に対する不安を抱いていて、「迷い雲」と表現している。「潮風に吹かれ 何も考がえず遠くを見るだけ」。勿論、不安はあるのだが、いろいろ考えても、どうなるわけでもないとも思っていて、心が揺れ動いている様子がわかる。
「見わたすかぎりの 水平線の かなたにあるだろう 僕の行く国が とびかうカモメは 陸が近いのをおしえてくれる」。勿論、不安はあるものの、確かな手応えと同時に自信のようなものも感じているようだ。その手応えが、1年後に「氷の世界」の大ヒットで現実となるわけである。
ここで、「やさしさがこわれた 海の色はたとえようもなくて悲しい」と「汽笛をならして すれちがう船 こんにちはの後は すぐにさようなら」の二つのフレーズについて、考えてみたい。自分の憧れである海ではあるが、いつも静かな状態ではなく突然荒れ狂う場合も当然あるわけで、その荒れ狂った状態とは、歌手として成功するだろうと思っていたが、上手くいかずデビュー当時に戻ってしまう ことを言っているのか、又は歌手として成功したが自分が思い描いていた状態とは違う姿を想像しているのか、どっちなのだろうか。「たとえようもなくて悲しい」とは、後者のことではないだろうか。
陽水の歌詞に、「夢」という言葉がよく出て来るが、陽水にとって「夢」とは、歌手として成功することではないのではないか。後年になっても何度も歌詞に出て来るところをみると、一体自分にとっての夢とは、なんなんだろうと自身に問いかけているように感じられるわけである。また、思い通りの歌ができたという手応えを「汽笛をならして すれちがう船」に例えているのだろう。陽水でさえも、思い通りの歌ができたと感じられる瞬間は、ほとんどないということなのではないだろうか。
今の自分に満足せず、そして夢とは何かを追い求め続けようとする姿勢が心の底にあるようだ。また、この夢のことを歌った曲が、「夢の中へ」なのだろうと若い頃から感じていたことについて、ちょっと違うかもと思ったことが、このブログを始めるきっかけになっているのであるが、あれから1年が過ぎていて、よく続いているなと呆れているところである。