今日は、「とまどうペリカン」について考えてみたい。 1982/12リリースのアルバム「LION&PELICAN」に収録されている。1978/8に石川セリさんと結婚し長男の准介さんが生まれているので、子育て真っ最中である。この時期というのは、新婚の男女関係も奥さん中心に一変するのではないだろうか。

ラジオ番組で、この頃のことを次のように語っている。「歌を作る時の感じが、子供ができたことで、変わりかたが激しいですね。最近は歌をほとんど聞かなくなりましたね、童謡以外に。つまりステレオの針の問題というか好きなんですよ。子供が乱暴というか、直ぐ触りたがって。ですから童謡のカセットテープぐらいしかないですね」。子供の扱いは、陽水も分からないのであろうから、セリさんからの指示に従うことになり、男女の力関係が逆転し、セリさんがライオンで、陽水はペリカンになっているのである。

「夜のどこかに隠された あなたの瞳がささやく、どうか今夜のゆく先を 教えておくれとささやく」。子供が夜泣きすれば、夫婦の関係も奥さん次第ということだろう。「私も今さみしい時だから 教えるのはすぐ出来る」。セリさんが子供に付きっきりな状況にさびしいと感じているようだ。「夜を二人でゆくのなら あなたが邪魔者を消して あとを私がついてゆく あなたの足あとを消して」。ここでいう「邪魔者」とは、乱暴な言い方だが准介さんのことだろう。子供に対する愛情があるから言える言葉なんだろう。また、「あなたの足あとを消して」とは、子供のことは忘れてという意味である。

「風の音に届かぬ夢をのせ 夜の中へまぎれ込む」。こどものことは忘れて二人だけの時間を持ちたいという願いは、はかなくも消え去って行くのだろうと。「あなたひとりで走るなら  私が遠くはぐれたら、立ち止まらずに振り向いて  危険は前にもあるから」。セリさんは、子供の事が常に気になっていて、夫婦間の情感がすれ違いを起こしていると言っている。「あなたライオン 金色の服  その日暮らし 風に追われて」。子供中心の生活を、その日暮らしと表現している。めまぐるしく毎日が過ぎ去っていて、陽水はそれに振り回されて、とまどっていると感じているようだ。

恋愛から新婚の時期は、男が主導権を持てるが、子供が生まれると、生活が一変して、女性が強くなる。陽水の場合は、1987/12に准介さんが生まれており、二人だけの新婚生活が数ヶ月と短かったため、特に変わり方が激しかったのだろう、セリさんがライオンに見えたのかもしれない。私も三人の子供がいるので、ペリカンになっている陽水の様子が良くわかる。それにしても、「ライオン」にたとえられるのは女性からしたら全く失礼な表現ではあるように感じるが、セリさんはどう思っていただろうか。