今日は、「長い坂の絵のフレーム」について考えてみたい。
 この曲について陽水は、次のように語っている。「この頃は友達に、手紙ばかりを書いているという感じは実際、自分にあったんですよ。-中略- 自分が50才ぐらいになって、友達とその頃の話を話し合うのが、ちょっと20代、30代、40代とは違う意味になってきていて、簡単に言えば、これから何があるかということもありますけど、これまで何があったねという事柄の方が、圧倒的に多くなった年代に僕らが入ってきたことで、自分が一番常識的に輝いていた事柄を確認するのがすごくうれしい年代になってきたのね。そんな形で曲が始まっていくんだけど」。この曲は、1998年3月発売の16枚目のアルバム「九段」に収録されているので、陽水49才の時である。
「ありふれた想い出と 言葉ばかりを並べてる」。自身にとっては、輝いていた出来事でも、他人から見れば、ありふれた想い出であると言っている。また、この時の語っている様子が、非常に早口で饒舌であり、以前にも書いたが、なぜ詩を書いたり、曲を作ったりしているかと考えると、ひとつ確実に言えるのは、人よりも会話のコミュニケーションが不得意だということであると言っていたが、大変な変わりようである。おおよそ30年の歌手生活が、陽水をここまで饒舌に変えたということである。
「時々はデパートで 孤独な人のふりをして」。上京した頃は、ひとりで孤独だったが、今は家族もでき、孤独ではないと感じているのであろう。しかしながら、「満ち足りた人々の 思い上がりを眺めてる 昼下がりは美術館で 考えたり」というフレーズから、満ち足りた現状に、これでいいのかなという疑問をなげかけているようだ。この辺りが陽水らしいところである。
「誰よりも幸せな人 訳もなく悲しみの人 長い坂の絵のフレーム」。 幸せな事も悲しい事も、振り返ってみれば、長い坂道をバックとしたワンショットの写真のようなものでしかないということか。「生まれつき僕たちは 悩み上手に出来ている」。幸せと悲しみは、同じようにあったにもかかわらず、いつも悩んでいたような印象である。「暗闇で映画まで 涙ながらに眺めてる たそがれたら 街灯りに 溶け込んだり」。そんな時は、映画でも見て夜の街をぶらつくのがいいのかもしれないと。「これからも働いて 遊びながらも生きて行く 様々な気がかりが 途切れもなくついてくる」。これからも、今までと同じような日常が続いて行って、これまでと同じように気がかりな事がついてまわるのだろう。「振り向いたら 嫌われたり 愛されたり」。そして嫌われたり、愛されたりするのだろうと、50才を目前にして素直な心境を述べているが、最近TVを見ていると、MISIAさんが、歌手として「繊細でなければいけないし、タフでなければいけない」と言っているCMが流れており、相反する心の状態を長い間継続するための手段として陽水は、これまでは感情を隠蔽する必要があったのかもしれない。