今日は「神無月にかこまれて」である。とても不思議なタイトルなので、その意味から考えてみたい。
神無月とは10月のことで、もともとは、神の月という意味である。つまり神様が集まってくる時期を意味しているが、陽水が言いたいのは、神様にすがりたい心境であり、神頼みするような心境であると言いたいのではないだろうか。
この曲は1972/12発売の2枚目のアルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」に収録されているので、歌手としてこれから人気が出てくるのか、それとも消えていくのかの分かれ目になる時期であると思っているのだろう。
「人恋しと泣けば十三夜 月はおぼろ 淡い色具合 雲は月を隠さぬ様に やさしく流れ 丸い月には流れる雲が ちぎれた雲がよくにあう」。十三夜とは、満月である十五夜の少し前の月であり、その頃が月見をするには、ちょうど良いんだよという日本的な美意識を意味しており、その頃の月を、「月はおぼろ 淡い色具合」と表現しているようだ。一番前より二番目という意味だろうが、私の場合は隅か最後尾が心地いいのだが、それはどうでも良いとして、同時に自身の人気についても、これから満月のような状態になって行くことを期待していると自身の心情を述べているのだろう。ただ、月を隠す雲のように、自分の足を引っ張るような人も出てくるだろうと予想してはいるが、「雲は月を隠さぬ様に やさしく流れ」から、そんなに気にしていないようだ。
「逃げる様に渡り鳥がゆく 列についてゆけない者に また来る春が あるかどうかは誰もしらない」。1960年代後半からフォークソングブームが起きているが、列についてゆけない者とは、そのブームに乗り遅れた者という意味だろう。このブー ムに乗り遅れた者は、消えていくしかないのだろうと思っているのだろう。「ただひたすらの風まかせ」。また同時に、そのブームもいつまで続くのか分からないとも思っているようだ。「青い夜の空気の中に 生きてるものは 涙も見せず笑いも忘れ 息をひそめて冬を待つ」とは、これから、どうなって行くのか分からないので、今は静観するしかないという心境で、状況をじっとみているだけだといいたいのだろう。
なお、「神無月に僕はかこまれて 口笛吹く それはこだまする」から、内心は曲作りへの意欲と自信のようなものを感じてもいるようだ。