今日は「愛は君」について考えてみたい。1972/5リリースのアルバム「断絶」に収録されている。
この曲については、故郷に残してきた彼女が忘れられなくて、愛してると叫んでいるのだろうと漠然と思っていたのだが、しかし「愛は空 愛は海 愛は鳥 愛は花 愛は星 愛は風」という彼女とあまり関係のないフレーズが何度も出てくることに、なんでだろうとも思っていた。そんな疑問から再度「愛は君」を聞いてみて、君とはどうも彼女のことではないのではないかと。
陽水の印象について、脚本家の内館牧子さんが、次のように語っている。「陽水さんは、どんな唄を作っても、どんな歌詞を書いても、下品にならない。最終的には、彼自身が持っている品性ではないかという気がしている。日本の文化では、例えば「抱き締めたい、お前が好きだ、一緒にいようぜ」とは小唄では言わないわけですよ。四万六千日で買ってきた風鈴がチリンチリンと鳴っているけれども、あなたから音沙汰がないねと。風鈴と音沙汰をかけてるわけですよ。陽水さんの詞の底辺、ラブソングの底辺にそんなものを感じるんですよ。それを本人が意識しているかどうかは別として、シャウトする、ストレートに感情をシャウトする、土俵でガッツポーズをするものとは、全く違う文化を感じるんですよ」。
つまり、女性に対して「愛してる」と叫ぶことはないと言っているわけである。また、改めて考えてみると彼女のことがどんなに好きだとしても「愛してる」という言葉を20代前半の青年が使うとも思えない。
照れ臭くてあまり使わない言葉を使って、カッコ悪いと思いながらも叫ばないではいられないものとは何であろうか。「愛は空 愛は海 愛は鳥 愛は花 愛は星 愛は風」から連想するものは、故郷であるが、陽水にとって故郷が、「愛してる」と表現する対象とも思えない。しかしながら、故郷に関連した事柄であることは間違いないのであろう。
最初のフレーズである「君の笑顔が僕は好きだよ」は、「心もよう」でも「あなたの笑い顔を、ふしぎなことに今日は覚えていました」と歌われており、相手は両親、特に母なのではないだろうか。それも、故郷の象徴としての両親なのだろう。故郷とその象徴としての両親を相手としたなら「愛してる」と表現できるかもしれない。ちょっと蛇足ではあるが、1972/6に陽水の親父さんが亡くなっているので、「愛は君」と「心もよう」では、ニュアンスが若干異なっているが。
「君のそばから離れたくない」。再デビューして東京でやって行こうと決心するにあたり、心の整理をしているようなフレーズに聴こえるのである。再デビュー前の状況を再度、想像してみたい。前にも書いたが、歌手としてデビューしたものの芳しくなく、故郷に戻った陽水は、将来に不安を抱え追い詰められた状態であったと思われる。そんな状態の陽水を励まし、そして勇気付け、再デビューする心の支えになったのが故郷であり両親である。それは再デビュー曲である「人生が二度あれば」から明らかであり、感謝の気持ちを最大限に伝える言葉として「愛してる」と叫んでいるのではないだろうか。