今日は「能古島の片思い」について考えてみたい。
タイトルにもなっているので、能古島に何か特別な思いがあるのだろうと思い、調べてみた。この島は、博多湾に浮かぶ島で、福岡市の中心部から船で10分程度で行けて、海水浴場もあることから行楽地として利用されているようだ。
「つきせぬ波のざわめく声に 今夜は眠れそうにない」。定かではないんだが、とても気になる噂を耳にして心がざわついているようだ。「浜辺に降りて裸足になれば、とどかぬ波のもどかしさ」。その噂を確かめようとしたが、どうも真偽の程がはっきりしないということだろう。「僕の声が君にとどいたら ステキなのに」。そんな噂なんか気にしないで、自分の気持ちを伝えられたら、どんなにステキだろうと。「つめたい風は季節を僕に耳うちすると逃げてゆく」。つめたい風ということは、晩秋の頃の思い出である。「遠くに見える灯は 南へ行く船の幸せかな」とは、結婚でもして幸せになるのだろうと想像しているようだ。
相手として考えられる女性は第一に小学生か中学生の頃の、同じ学校の好きな子で、遠足で一緒に能古島に行ったことを思い出しているのであろう。小学生か中学生の頃は、クラスに好きな子がいても、告白なんてできるはずもなく、下校する姿を遠くから見ていることしかできないものである。
ちょと話はそれるが、中学生の頃に、今から考えると何であんなことを学校行事でやっていたんだろうと思うのがフォークダンスである。先生の思惑はさておき、女性と手をつなぐ唯一のチャンスで、特に好きな子とのフォークダンスは、鮮明な印象として残っている。
横道にそれてしまったが、もうひとつの可能性として考えられるのが、8才年上のお姉さんである。 陽水がビートルズの熱烈なファンであるのは有名な話であり、それは、ラジオ番組で、次のように語っていることからも分かる。「私は人前で踊るという気になかなかならないんですが、ビートルズが目の前で演奏していたら、きっと踊れるだろうなと思うぐらいの傾倒ぶりなんですよ」と。そして陽水が洋楽に興味を持ったのは、お姉さんの影響らしい。しかしながら8才も年上だと、お姉さんからあまり相手にされなかったのかもしれない。家族で能古島に行った思い出という可能性もあるのではないかと思われる。
お姉さんとか気になる親戚の年上の女性が結婚するとなると、嬉しいという気持ちよりも、相手の男に奪われたという気持ちがはるかに勝っているものである。はるか遠い楽しかった思い出を、「夏まつり」でも語られている郷愁と共に胸の奥に仕舞い込もうとしている陽水の姿が目に浮かぶようだ。