今日は「帰れない二人」について考えてみたい。1973/9にシングル盤としてリリースされた「心もよう」のB面の曲である。
陽水にとっては大変めずらしく作詞/作曲が共作となっている曲であり、相手はRCサクセション忌野清志郎さんである。陽水としてはA面の曲にしたいという要望があったようであるが、当時のプロデューサーが「心もよう」をA面に押したことで「帰れない二人」がB面になったようだ。また編曲は星勝さんということもあり、次のような逸話が残っている。陽水と忌野清志郎さんが二人で、あーでもないこーでもないと夜遅くまで曲作りをしていたので、編曲をスタンバイしていた星勝さんが二人を残して帰れなくなったというお話である。三人の様子が目に浮かぶようで楽しい。
陽水にとって共作するということは、気が合うと同時に相当の信頼があったものと思われ、忌野清志郎さんは親友と呼べる存在だったのかもしれない。また、「帰れない二人」をA面に押したという陽水の心情も理解できる。
また、あるお母さんが小さな娘さんに、確かお母さんは陽水のファンだったと記憶しているが、「この曲はね、かえれない二人ではなくて、かえりたくない二人なんだよ」とやさしく話していた場面を思い出す。あの小さな娘さんは、きっと素敵な女性になっているはずである。
この曲の第一印象で目に浮かぶのは、高校生くらいの男女が、親の目を盗んで、夜中にそっと家を抜け出し会っている姿であるが、同時に陽水と忌野清志郎さんの二人の姿が投影されているような気がしてならない。
「口ぐせのような 夢を見ている」と「もう 夢は 急がされている 帰れない 二人を残して」で夢という言葉が二度、出てくるが、口ぐせのような夢とは、なにか特別な目標として掲げるものではなくて、普段あたりまえと思っていること、何気無いことが、実は夢だったと気付くことがあるんだよと言いたいのではないか。その夢が急がされている、つまり今実現しようとしていると言いたいのではないか。親の目を盗んで、夜中にそっと家を抜け出し会っている高校生ぐらいの男女にとっては、今、この瞬間が夢の実現なんだよと。
「結んだ手と手の ぬくもりだけが、とてもたしかに 見えたのに」。そして陽水にとって忌野清志郎さんと曲作りができるということが、まさしく夢の実現だったのかもしれない。二人がコンサートでこの曲を歌っている映像をみると忌野清志郎さんの独特の声が震えているように聞こえるし、それを心配そうに見ている陽水の姿が印象的である。二人にとって早く曲をつくらなければと思うと同時に、そんなに急がなくていいかとも思っているのかもしれない。