今日は「心もよう」について考えてみたい。1973/9シングル盤としてリリースされた曲である。
「19才になったお祝いに 作った歌も 忘れたのに」。彼女が陽水と同じ年なら歌をつくったのは1967年ということになる。まだデビュー前の福岡にいた頃の思い出である。彼女と別れて東京に出てきたが、福岡にいる彼女のことを思い出し、寂しいと手紙を書いている姿が素直に想像できるが、もしそのようなことなら、あえて取り上げる必要もない。そこで手紙を書いている相手が彼女ではなく別の人である可能性はないのであろうかと考えてみた。
相手が彼女の場合の違和感がいくつか感じられる。 (1)この唄は後年になっても繰り返しコンサートで歌っている。10代の思い出をずっと引きずっているとは考えにくい。 (2)「くもりガラスの外は雨 私の気持ちは書けません  さみしさだけを手紙につめて ふるさとにすむあなたに送る」。相手が彼女なら、寂しいという気持ちを切々と書けると思うが、どうしても書けない様子が伺える。さみしいと思っているが、さみしいと言いたくないと思っているようだ。 (3)「あなたの笑い顔を ふしぎなことに今日は覚えていました」と言っている。記念につくった歌を忘れたのに、笑顔はありありと思い出しているということは、余程印象に残っているんだろうが、彼女の笑顔なら日常的に見ていただろうから、少し違和感を感じる。(4)「あなたにとって見飽きた文字が 季節の中で埋もれてしまう」。彼女が見飽きるほど頻繁に手紙を書いていたとも思えない (5)新曲をリリースするタイミングは、通常月始めの1日であるが、この曲は21日にリリースしている。12月にはアルバム「氷の世界」がリリース予定になっているので、セールス的にいろいろあるのであろうが、既にかなり前に出来ていたが、リリースを躊躇していたものを急遽リリースしたのではないかと想像してしまう。ためらっていたのは、納得いかない部分があって何度か書き直していたのではないだろうか。そして、これが最も引っ掛かる点であるが、弾き語りのコンサートで「心もよう」を歌う前に「大変な唄だね」と語ったことがあった。大変な思いをして苦労の末に出来上がったという意味であろう。彼女に対する思いであれば、曲作りにそんなに苦労するとは思えない。
そこで仮に相手が母ならどうであろうか。これらの違和感がかなり解消されると思われるが。もちろん、母だとすると「19才になったお祝いに 作った歌も忘れたのに」というようなフレーズは、かなりおかしくはあるが。しかしながら、二十歳前後の青年では母への思いをストレートに歌えるとも思えない。一部彼女との思い出と交錯しながら母への思いを歌っているようにも感じられる。
なお、「人生が二度あれば」で母への思いを涙ながらに歌っていた陽水が、その後この歌をほとんど歌っていないというのも納得がいかない。それに代る歌ではないかと思ってしまうのだが、私の思い過ごしだろうか。