今日は「青空、ひとりきり」について考えてみたい。1975/11シングル盤としてリリースされた曲である。
コピーライターの糸井重里さんが「楽しいことなら 何でもやりたい」の「なんでも」という言葉に注目していて、「なんでもやっていいのかよ」と、ツッコミを入れたくなると言っていたが、全くつまらない毎日が続いているのであろう。
つまらない状態とは、サラリーマンで言えば、残業に追われて寝る暇もない毎日が続いているか、あるいは、窓際に追いやられて全く仕事がない状態かの、どちらかであろうが、現状打開の難しさで言えば後者だろう。「氷の世界」の発売から2年後であり、曲作りに行き詰まっているか、あるいは曲を作る意欲が湧かない状態を表現しているようだ。
「笑える場所なら 何処へでもゆく」とは、会話があるから笑いがあるのだろうから、会話がそもそもないのか、あっても例えば次のアルバムをどうしようというような仕事の話しばかりでつまらないと思っているようだ。「悲しい人とは 会いたくもない 涙の言葉で 濡れたくはない」。身内に不幸でもあって、親戚が集まって深刻な話しをしている場面に遭遇した場合でも、「そんなに深刻になってもね。」と思うことで、そこから抜け出すことができるという主旨のことを語っていたが、その様な対処の仕方もあるよと言っているのだろう。
「何かを大切にしていたいけど 身体でもないし 心でもない きらめくような 想い出でもない ましてや我が身の 明日でもない」と、大切にしたいものが、過去にも現在にも、そして未来にも見当たらないようだ。ここで言っている「きらめくような想いで」とは、氷の世界の大ヒットのことなんだろう。
「仲良しこよしは 何だかあやしい」。友達とか親友という言葉に疑いを抱いていると同時に羨ましいという感情が読み取れる。というのも「夕焼け小焼けは それより淋しい」と言っており、夕焼け小焼けはそれほど淋しい感じがしないからである。最後に「一人で見るのが はかない夢なら 二人で見るのは たいくつテレビ」とは、ひとりで夢に向かって頑張るより退屈なテレビでもいいからふたりで見ている方がまだいいということだろう。関係がどうであろうとひとりよりふたりの方が好ましいと思っているようだ。
追い求めていた目標を達成して社会的な地位を築いても、満足感に浸っている様子はなく、ひとりぼっちで孤独を感じていると言いたいようだ。1976/2に最初の奥さんとの離婚が成立しているので、その事も大きな影響を与えているのだろう。