17曲目は「あかずの踏切り」である。
最初にちょっと独り言。「いつのまにか少女は」で述べたように、陽水が女性に憧れていたということに関して、「そうだよね」という部分もあると感じていて、というのも定年を迎えると今まで全く気にならなかった近所の様子、特に同年代の行動、ふるまいが気になりだす。早朝、ランニングしていて誰かとすれ違う時、「おはよう」と言う人と無言の人、また夕方、散歩していると、集団で散歩している人達とひとりでたばこをくわえている人にそれぞれ出会う。前者がおばさんで後者がおじさんである。女性の方が圧倒的に楽しそうである。
話を戻すと、1973/12にリリースされたアルバム「氷の世界」に収録されている「あかずの踏切り」も、女性を理解しようとする陽水の姿勢が語られているのではないかと思われる。若者はみんな東京に憧れ、卒業と同時に東京を目指す。人がどんどん増え鉄道網もどんどん増えるに従ってこのような踏切りも増えて行ったのが、高度経済成長期と言われる1955年~1973年である。陽水が生まれたのが1948年であるから、子供の時から渦中に居たことになる。従ってそういう社会現象を憂いた部分もあるのだろうが、子供の頃から見てきて、それが当たり前になっていたものと思われる。そんな事より陽水の関心は、女性に向いていたのは間違いないようだ。「氷の世界」の1年前に発売された「陽水Ⅱセンチメンタル」に収録されている男女の関係を歌った「能古島の片思い」「あどけない君のしぐさ」「ゼンマイじかけのかぶとむし」などの曲を聞けば明らかである。
「目の前を電車がかけぬけてゆく 想い出が風にまきこまれる」とは、女性のこと少しはわかったつもりでいたが、まぼろしだったということか。「思いもよらぬ速さで、次々と電車がかけぬけてゆく」。例えば、おはようと声をかけて、それをきっかけに女性と親しくなるというような、そんなきっかけさえないと嘆いているのか。「子供は踏切りのむこうと こっちとでキャッチボールをしている」「相変らず僕は待っている 踏切りがあくのを待っている」とは、子供の時は無邪気に女の子とも友達になれたのに今は女性のことはさっぱりわからず、ただ立ち尽くしているだけだといいたいのだろう。「極彩色の色どりで次々と電車がかけぬけてゆく」。都会の綺麗な女性達がただただ目の前を通りすぎて行くだけだということか。しかし何とか活路を見出したいという陽水の情熱には敬意を払いたいと思うが、気楽に女性に声をかけることができない性格なのだろう。なお、鉄道網が増えている現象については、「東へ西へ」でも「電車は今日もスシヅメ のびる線路が拍車をかける 満員いつも 満員 床にたおれた老婆が笑う」と唄っているところを見ると、なんとかならないのかなぁという程度には思っているようだが、あまり興味はないようだ。