今日と次回は、つながりのない言葉が並んでいる2曲について考えてみたい。「氷の世界」と「My House」である。「氷の世界」では、センテンスとセンテンスがつながっていないし、「My House」にいたっては単語と単語がバラバラである。
今日は、「氷の世界」。
何か語りたいことをあえて隠そうとする意志が働いているような歌なので、歌詞からのアプローチよりむしろメロディーから陽水の感情を想像してみたい。
陽水は、状況や感情をメロディーで表現するのが実に巧である。例えば「紙飛行機」では、ゆらゆらと空を飛んでいる様子が目に浮かぶようだし、また「かんかん照り」では、暑さで蜃気楼が揺らめく様子が想像できる。「氷の世界」のメロディーからは、怒り、それも絶望を孕んだ怒りの感情が聞こえてくるようだ。この曲を陽水はいまだにコンサートで繰り返し歌っていることからも、非常に大切な曲の一つと考えているのがわかる。再デビュー曲で最も身近な両親の姿を歌っていたように、感謝、哀しみ、怒りなどの感情は、自分の周りの身近な人達とのかかわり合いで育まれるものであり、その点で言うと自身の感受性や立ち振舞いに最も関心があり、とても気になっているのが想像できる。つまり「氷の世界」で表現したいのは、自身に対する怒りなのではないだろうか。絶望を孕んだ自身への怒りと仮定して、何に対する怒りなのか、一つ一つ見て行きたい。
「窓の外ではリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り きっと誰かがふざけて リンゴ売りのまねをしてるだけなんだろう」からは、自分は真剣に考えていることをふざけているやつがいることへの怒りか。また同時に、一緒になってふざけることが出来ない自身に対する怒りか。リンゴ売りという行為は、あり得ないことの例えなのだろう。ふざけるなんてあり得ない。と同時になんで俺はふざけることが出来ないんだと叫びたいのか?「ぼくのテレビは寒さで 画期的な色になり とても醜いあの娘を グッと魅力的な娘にして 直ぐ消えた」とは、好きなテレビまでが映らなくなってしまった。失礼ながら例えば電気代が払えなくて電気を止められたとか(そんなことあるはずないだろうと皆さんから叱られそうですが)、これは自身の不甲斐なさに対する怒りか?「誰か指切りしようよ 僕と指切りしようよ 軽い嘘でもいいから 今日は一日はりつめた気持ちでいたい」とは、今日やることの目標を立て、なんとか達成したいと決意して、緊張感を持って過ごしたいと 思っているが、多分達成できないだろうと想像している自身への怒りか?「小指が僕にからんで動きがとれなくなれば みんな笑ってくれるし 僕もそんなに悪い気はしないはずだよ」とは、みんなを笑わせることが出来たら、自分も気分が良いのだが、そんなこと出来っこない自身に対する怒りか?「人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな だけどできない理由はやっぱりただ自分が怖いだけなんだな」とは、人を傷つけてでも自己主張を貫けたら良いのだが、そんなことは出来そうもない自身への怒りか?「そのやさしさを密かに胸にいだいてる人は いつかノーベル賞でももらうつもりでガンバッてるんじゃないのか」とは、ひたすら良い人でいようとする自分に嫌気がさしているのだろう。
「氷の世界」を繰り返し歌うことで、自身の不甲斐なさからの成長を確認しているようだ。