今日は、「小春おばさん」について、考えてみたい。
最初に、小春という名のおばさんは、実在したのかどうかであるが、どうもはっきりしないが、私の記憶では、実在の人物だったのではないかと思われる。雑誌か何かで読んだ記憶があるが、年代的に接点はなかったような印象がある。この辺は、陽水の歌い方からも感じられる。「風は北風冬風 ・・・」と低音の歌い方で始まるが、「小春おばさん 逢いに行くよ 明日必ず 逢いに行くよ」の部分では、突然高音で叫ぶような歌い方に変わっている。常々会いたいと思っていたのになかなか会えない状態が続いていて、何としてでも、直ぐにでも会いたいと叫んでいる。
それでは、何故そんなに会いたいと思っているのかである。後半で 「子猫をひざにのせ いつものおばさんの昔ばなしを聞きたいな」と歌っている。小春おばさんは昔ばなしが好きで、その昔ばなしを聞くのを楽しみにしているようだ。
その昔ばなしとは、出だしの部分の「風は北風冬風 誰をさそいに来たのか 子供は風車まわしまわされ 遠くの空へ消えてゆく」というような昔ばなしではないかと想像できる。なぜなら、この部分は、現実とはかけ離れた、昔ばなしにでも出てきそうな雰囲気を醸し出しているからである。この曲が何故か人々を引き付ける郷愁のような不思議な味わいがこの部分から発せられているようだ。
この昔ばなし、宮沢賢治の「 風の又三郎」を彷彿させる。この物語は、田舎の全校30名ぐらいの小さな小学校に夏休みが終わってやってきた少年三郎君が、風の又三郎と呼ばれるが、やがて突然転校して居なくなってしまうというお話である。歌詞とメロディがこの昔ばなしの心象風景にピッタリする。陽水は、この不思議な物語に興味があったのではないだろうか。
今は亡き小春おばさんに思いを馳せながら、イメージを巧みにメロディーで表現している不思議な曲である。