1970年代、俺が未だ中学生だった頃、妹が買ってきたLPレコード「断絶」。TVで聞いていた歌謡曲、演歌とは全く違う歌が聞こえてきた。なにか怒りのこもった高音の声、陽水との出会いは、これはいったいなんだろうという感情から始まった。あれから50年、陽水はもしかしたらこんなこと、言いたかったのではと思い始めている。

1969年6月、芸名アンドレ・カンドレ、曲名「カンドレ・マンドレ」でデビューする。陽水としては名前にこだわりがあったのであろうが、どちらも「なんだこれは」という印象である。しかし言葉を非常に大事にすると同時に言葉と遊んでいるというその後の一貫したスタイルが当初から見受けられる。この芸名、曲名では当然あまり売れなかった陽水、芸名を井上陽水と変えて再デビューしたのが1972年3月、その再デビュー曲が「人生が二度あれば」であったことは興味深い。受験に失敗し、歌手としてデビューしたものの芳しくなく、故郷に戻った陽水は、将来に不安を抱え追い詰められた精神状態であったことが容易に想像される。それは森本レオさんが語っていた陽水とのデビュー当時の次のようなエピソードからもわかる。「レオさんの家で陽水さんも含めて遊んでて、陽水さんの曲『断絶』を聴くことになり、歌い出す瞬間、陽水さんが息をゴクンとのんでいる気配があり、それを見てレオさんが『あがってんじゃん、なんだよ~』と皆で大笑いしたら陽水さんがものすごく怒って『生きるか死ぬかなんだ、この瞬間にかかってるんだ 緊張するに決まってんじゃないかー!』と怒鳴ったということである。そんな時に心癒されたのが両親の存在だったのだろう。両親への感謝の気持ちで溢れているこの曲、ライブ盤「もどり道」でも「親父がこの曲を喜んでくれまして」とつぶやいている。追い詰められた青年が最後にすがりつくのは、無条件に受け入れてくれる両親しかいないということか。「カンドレ・マンドレ」で「一緒に行こうよ 私と二人で愛の国 きっと行けるさ 二人で行けるさ夢の国」となにか現実とはかけ離れた歌詞が「人生が二度あれば」では一番身近な両親のしぐさへと変貌していることに注目したい。