「タモリステーション テレビが見た決定的瞬間感動のスポーツ70年~」
地上派テレビは普段はあまり観ないんだけど、予告で”あるスポーツのゲームのシーン”が流れているのを観て絶対録画しようと決めた。
それは、
1988年10月19日、近鉄バファローズとロッテオリオンズのダブルヘッダー。
近鉄にとっては優勝がかかったゲームだった。
実は自分はその頃 大のバファローズファン。
中学生の頃、学校で『尊敬する人』を書きなさいと言われて『西本幸雄』(バファローズを初めてリーグ優勝させた監督)と書くくらいの。
特にあの10月19日のことは一生忘れない。
残念ながら、当日川崎球場へは行けなかった。
仕事を終えて早く帰宅してテレビを観ようととび乗ったタクシーの中で、同じパ・リーグの阪急ブレーブスがオリックスに身売りしたのを知った。
パ・リーグは、既に南海ホークスがダイエーに身売りして福岡に移転することが決まってたけど、まさか阪急までが身売りするとは思わなかった。
そんなパ・リーグ激動の日に始まったゲーム。
第一試合。
それまでバファローズに連敗続きだったオリオンズも意地を見せ、試合は好ゲーム。
ベテラン梨田選手のヒットで鈴木選手がホームインし、バファローズ勝ち越し。
若くして亡くなった鈴木選手が、太っさんこと中西コーチとホーム上で抱きあってというか転げまわって喜んでいたシーンが今も目に浮かぶ。
大のバファローズファンであった実況アナの『梨田がやった!V2戦士の梨田がやりました❗』という絶叫も。(追記 安部さんは第二試合の実況だったかな?)
その裏、リリーフエースの吉井投手に代わって出てきたエース阿波野が抑えてバファローズ一試合目、勝利。
そしてニ試合目。
ゲームは二転三転。
連投の阿波野が高沢選手に打たれて同点。
高沢選手はその年の首位打者をとるほどの巧打者だった。
試合はそのまま時間切れ引き分け。バファローズは優勝を逃した。
自分はテレビを観ながらおんおん泣いていた。
でも不思議と悔しさは感じなかった。
ずっと人気のないパ・リーグを応援していた身としては、普段は閑古鳥が鳴いてる川崎球場が超満員になってるのを見ただけでも感動したし、あんな素晴らしいゲームを見せてくれた両チームにはありがとうしか言葉はなかった。
ちなみにあの後、時間切れ引き分けになったのはオリオンズの監督の抗議のせいた!とか言っている人も見たけれど、自分はそうは思わなかった。彼は彼なりにオリオンズの監督として意地を通したのだ、本拠地であるのに完全アウェイなあの雰囲気の中で。
バファローズは翌年、同じ仰木監督の下で今度は宿敵ライオンズをダブルヘッダーで倒し、ホークス戦で悲願の優勝を決めた。
けれど日本シリーズでは…
いや、やめとこう。
だが、それも含めて非常に『バファローズらしかった』
近鉄バファローズは一度も日本一にならないまま歴史に幕を閉じた。
総じて常に優勝争いをしていたわけでもないし、人気の面でも同じ関西のタイガースに大きく水をあけられていたけれど、妙に記憶に残る試合をたま~にする面白いチームだった。
優勝争いをしたかと思ったら、翌年には最下位を爆走したりしてたけど、そんなところも自分は大好きだった。
もうあんな風に熱くなって何かを応援することはないんだろうなあ。