サナギと蝶について考える。
実際のところはわからないが、この「サナギと蝶」の話が人生のたとえとして使われることはよくあり、私も何度か書いてみた。
今は不自由に感じても、あなたらしく花開いて、美しい蝶となって羽ばたく日が必ずくる。と。
今私が感じていることは、ようやく蝶へと脱皮したということ。
美しいか美しくないかは別として、私は長いサナギの時代を終えたような感覚がある。もしかすると、一時的な気持ちの変化が私にサナギ時代の終焉をまざまざと感じさせているに過ぎないのかもしれない。
最近体調を崩して部屋を数日出ることが出来ずにいたが、今思い切り近くの公園にきた。私が夜中に公園に来るのは自分の心や精神を風景という音楽に溶かして自己再生をはかるためということが多かった。流れる雲を見て宇宙を感じたり、街灯と植物のコントラストの美しさに息を飲んだり、空間が発する声のような音と、内省の声のある風景のない交ぜとなったアンサンブルを聞いたり。イヤホンを付けて音楽を聞くのも、本を読むのも、少し環境を変えて物事を見つめ直す時間。深夜の公園に着けば自分を取り戻すことができる。そんな誰も知らない時間に近い未来や遠い未来にわくわくする時間。
今日の夜公園にきた時に自分がサナギ時代に戻れないのではないかと少し強めに感じた。
いじめ後遺症と人知れず奮闘してきた。
25歳、30歳、35歳、40歳と年を重ねるごとに、いじめ後遺症は目に見えて楽になってゆく。
30歳を越えた頃だったか、いつの間にか、ずっと聞こえていたいじめ加害者達の鮮明な声が聞こえなくなっていた。この声はそのたびに私を自己否定へと追いつめていた。それがようやく聞こえなくなった。
35歳の頃にはいじめ後遺症の心の部分に押し潰されっぱなしだった体調が良くなっていった。
25歳の頃には、あれだけずっと苦しかったいじめ後遺症が楽になってきた。無風の空間に自分から発するこもった熱で不快なサウナのように身じろぎが上手くいかない日々に、時折涼やかな風が虫の寝息のように吹いてくるのを感じとれるようになっていった。忍耐強く、自分の人生をスタートできるタイミングをずっとはかっていた。今40歳近くなって、環境も変化し何人かの信頼できる友人も出来て、体調も20代に比べればとてもいい。いじめ以外のことで人並みに悩んだりする生活を送っている。今さっき公園に来て感じたのは、未来を見ることではなく、現実の次の一歩をどうするのかということのみだった。空を見ず、現実的な空間を現実のまま見、考えたのは、大きな岩のように公園の一部となりたいという思いだった。いじめ後遺症に絶対に負けないぞ!いじめに絶対負けないぞ!と毎日急降下していく流れに抗い続けていたが、今日はその急降下の流れを全く感じない。私を全否定する環境に身を置いていたという感覚から、私自身が環境を作っていく立場という感覚へ大きく変化していた。以前は私を蔑視し、嘲笑い、罵倒があり、冷たい視線の矢が刺さるような日々だったが、今は私に最低限の敬意を払い、傾聴の姿勢を見せている人々がいたり、ずっと待ってるんですけどあなたはまだ動かないのですか、まだ何も発しないのですかと、待ちくたびれて、うなだれる態度を取ることさえも見せないように我慢している人々が見える気がしている。岩になりたいなんて逃げであって自分の前にある責任から目を反らしたい気持ちの現れであると思う。こうして文章を綴っている間に、サナギ時代が終焉したというのは勘違いである、一時的な気持ちの変化であることを自覚することができてはいる。これが世間の皆さんの抱える悩みのひとつであるなら、なるほど、弱音のひとつでもこぼしたくなる気持ちもわかる。不意に訪れたゴール地点。不意に訪れたスタート地点。「さあ、張り切ってどうぞ!」と言われているようだが、疲れ果ててしまっている。安逸は恐いと思う。人並みの精神生活に身を委ね、人並みの精神生活に融合しようとしていたのかもしれない。疲れ果てているのは、そんなところに要因があるのかもしれない。シールズの奥田くんの今回の主張には一切同意はしないが、ただ、いじめに苦しんできた人間の生き方としては何も間違っていないと思う。ああやって、主張は違えど、人々のために声をあげ連帯していこうという行動は、私がかねてからずっとやろうとしてたことだ。彼の命懸けの行動を「何が命懸けだよ」と笑う人もいるようだが、私は笑えないし、間違った思想であったとしても命懸けの戦いであったと思う。自分を全否定してきた自分以外の人々と、多く交わってゆく。この多くの人々との交わりこそが、いじめ後遺症を軽減させるポイントのひとつであると私はずっと思ってきた。続きを書くかどうかわかりませんが一端置きます。