小学校の頃私は友達の家族と遊園地に行った。
友達は絵が上手でクレヨンで観覧車を描いていた。
観覧車が回る感じや秋の寂しさが表現されていて私は感動した。
素直で理知的な彼は今どんな人生を歩んでいるんだろう。
そんなことをふと考えた。
なかなか私と波長があわなくなってしまっているだろうが、私はあのときの賢く優しい友人と観覧車に乗りたいと思う。
私とその友人との間に、どんな縁があると。
あの頃以上の友情を育むことが出来るだろうか。
実現の可能性は限りなく小さいが、もっともっと年をとってから少しの話をしながら観覧車の外の何気ない風景を眺めたいと思う。
…
いじめによって本当に遠く遠くなってしまった。
十代になる前は静かな心の交流のできる友人は多かった。
いじめっ子が憎い。いじめを肯定していた社会が憎い。テレビが憎い。
さて、私がこのつらく苦しい思いを乗り越えるのは何時になるだろうか。
それを乗り越えた時あの素敵な友人たちと静かな心交流をしたいものだ。
まだまだ激しい戦いは続けるから、ずっと先のことだろうけどね。
いつか逢おうじゃないか。
あの遊園地のあの観覧車の前のベンチに腰掛けて引き裂かれた時間を少しだけ埋めよう。