再録6 | 晴れわたる青空の下で

晴れわたる青空の下で

人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

いじめについての勘違い

いじめられる人は特別に弱い人ではない。負のオーラ論も間違い。いじめは初期段階で周囲の大人が防ぐ責任がある。いじめられる前の時点を0だとすると、いじめにあうとマイナス1になる。マイナス1になったことを被害者も加害者も周囲も気がつかない。
いじめにあうたびマイナスが積み重なり、マイナス7くらいになる時に変化が起きる。
「なんでいじめるの?」
と聞くと、彼らは0の時点の被害者を見ない。
マイナス7の被害者を見てこう言うんだ。
「暗い」
「挙動不審」
「怒りっぽい」
「感情の起伏が激しい」
これらは全部、被害者の後付けの印象に過ぎない。
時々、マイナス5やマイナス4の段階の姿を思い出し評価する。
いじめにあうと誰でもパニックになる。パニックになるとどうなるか。
「暗くなる」
「挙動不審になる」
「怒りっぽくなる」
「感情の起伏が激しくなる」
「人間不信になる」
 のです。
 0地点のいじめにあう前の人は、クラスメイトなら誰でもしてしまう可能性のある失敗をする程度である。
 いじめにより性格が変質していくのだ。



今日私のDVDプレイヤーが壊れました。トレーが出てこなくなりました。私は、マイナスドライバーを使い、また、プラスドライバーでネジを外しました。蓋を開け、中身のDVDを外したあと、なぜ壊れたのか、なぜトレーが出ないのか、さらにネジを外して、無理矢理にこじ開けたり、引っ張ったりしているうちに、大事な線が切れてしまい全く使えなくなってしまいました。私は日記を書いているのではなく、今日の体験を通して、いじめについて考えてもらいたいのです。
いじめと同じです。DVDプレイヤーは被害者で、壊した私は加害者です。
いじめ被害にあうと消耗します。
「どうしたの? そんなに落ち込んで。いじめられたくらいでいつまでもウジウジしていてはいけないよ、男の子でしょ?」
 という深刻な勘違いの励ましが、いじめ被害者のダメージを甚大にしていく。
ダメージが大きい被害者本人と、
「それぐらいでいつまでも落ち込むな。早く元気に戻れよ、じれったい」
といじめた人間は、いじめ被害者の回復力を安易に考えている。
「このぐらいのいじめなら大丈夫なはずだ」
と思い込んでいると、思ったよりダメージが大きい。
いじめ加害者はイライラしてくる。「面倒くさいなー」
「壊したら怒られる。早く治れよバカ!」となる。



 いじめ被害者本人さえも、
「そうだ、自分は弱いんだ。強くならなきゃ」
 と自分を追いつめてしまう。
しかし、
「また、いじめられるんじゃないか」
 という恐怖は尋常じゃありません。更に心身に受けたダメージは周りが見るよりかなり深刻です。本人も非常につらい。しかし本人は、この辛さを乗り越えないと弱虫なんだと自分を追い込む。
簡単ではありません。だからこそ、立ち振舞いがギクシャクしてしまうのです。



だからこそ、いじめ被害者は強い人間へと鍛えあげられていきます。他の人では、頑張り抜けないようなことを、割りと簡単に乗り越えてしまいます。
「じゃあ、いじめられたら強くなるんなら、いじめられたっていいんじゃないか」
というあまりにも残酷な勘違いをする人が大勢います。
いじめは、耐えられないのが当然のラインなのです。
いじめは乗り越えられるというのを最低ラインとして引いてしまうからこそ、大きな歪みが生まれるのです。