てゆうかさ、中学校って、いったい何なの?
いじめ被害あっている中学生の年齢は恐らく、12歳、13歳、14歳、15歳だろう?
中学校時代って、思春期をむかえて体が成長して、考え方も大人な考え方になっていく過渡期でしょう?
部活に熱中したり、大詩人達が書いた言葉に感動したり、つらいことがあっても親に相談せずに一人で泣いて我慢してみたり、伸びやかな無限の可能性を自覚して、晴れ渡る青空のようなのびのびとした気持ちで毎日を生活していく。
本来の理想的な生活ってそんなものじゃないのかな。目の前の現実にどう対処していくかばかり考えさせられて、めいいっぱい努力しても、なんだか景色はどんよりとしていて……。
もっと大らかで爽やかな時間がたくさんあっていいんじゃないのか。
そんな深呼吸のような日々があっていいんじゃないのか?
いじめは、そんな大らかで爽やかな時間を奪うばかりか、大人には認められている発言する自由や、苦しい時は苦しいという感覚もにぶらされる。
いじめに苦しんでいるみんなは気が済むまで休んでいいと思うよ。
だけど問題は、大らかで爽やかな時間だけが中学校生活ではなくて、限りの無い挑戦をし続けることが大事な時なはずなんだ。どんなにつらくなってもかまわないから、限界を決めずに挑戦の日々を送ること。勉強や読書、スポーツやランニング、芸術に対しても、文学に対しても、いにしえの偉人たちに深い共感を寄せる日々であるはずなんだ。知らなかった美しい世界と、知らなかった汚い現実。知らなかった汚い現実を目の当たりにすることで、知らなかった美しい世界の賑やかで楽しい楽曲に、ゆりかごにゆられるがごとく身をゆだねたり、神々しい朝日が登る時にはブラームスを聞き、春風が気持ちいい時は、パッフェルベルのカノンが頭に流れる。
夕暮れに染まる町の風景を見て、この町とこの町に暮らすすべての人々の幸せを人知れず深く願い祈ってみたりする時ではないのか。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下に」をまだ読んでいないなら読んでみるがいい。ハンス・ギーベンラートの周りの美しい風景をまだ想い描いていないなら、図書館で借りてきて読むこと。今の日本と当時のシュワルツワルトの風景も深い悩みも違いがあるかもしれない。だけど、ハンス・ギーベンラートの背中に人知れずのしかかる重圧について共感しえることもたくさんあるのではないかと思うんだ。
過酷でよどみきった現実の中に身を置いているからこそ、知らなかった美しい風景に心を奪われる瞬間を多数経験していく時だ。
私は、このあたりのことを書きたい伝えたいとずっと願ってきた。
震災にあいながらも、生き生きとして生きていこうとするハツラツとした大人たちの笑顔。そんな爽やかな笑顔に10代の人々はどれほどの安心感を与えられていることだろうか。正邪をきちんとたてわけることで、本来彼らが味わうべき、日々の感動が色づいて見えてくる。
私たちは、知らなかった美しい世界や風景が既に見えている。
同級生の彼らにはなかなかその風景に出会うことが出来ていない。体育の授業かったるいなと呟く同級生に無理にあわせてうなずいている君。本当は、気持ちよく晴れた空の下で生き生きと動いている同級生の姿を見るのが好きなのではないだろうか。そんな気持ちを雄弁に語る必要は無いさ。本当は雄弁に語りたいんだとモヤモヤしつつ、美しいきらびやかな風景を見て一人感動にひたればいい。
爽やかな時間だなと、白くまぶしい太陽の光に目を細めるべきだ。