あまりにも過酷な試練を乗り越える | 晴れわたる青空の下で

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人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

いじめは残酷です。犯罪行為です。であるのに加害者は、罰を与えられないという事実がある。窃盗、強姦、殺人、など、加害者が20歳を越えていると、逮捕され、裁判で被告となり、懲役刑となり、刑務所で罪を償うことになる。被害者側からすれば、死刑にしてほしいの望むのは当然の心情であると思います。例えば、いじめにより被害者が死んでしまったとしたら、親はどんなに悲しむことだろう。飲酒運転などの交通事故の遺族はどんな心境で生きているのだろう。いじめ被害者も同じくらいに苦しい思い、悔しい思い、自分を責めてしまう気持ちに苛まれている方も少なくないと思います。
加害者が罪の意識もなく、のうのうと生きている現実をいじめ被害者はどんな苦々しい思いで見ているか。そんなふうに他者に対し、人を憎んでしまう気持ちを持ってしまっている自分に対して、どれほど情けない気持ちでいるか。
いじめ加害者への厳しい罰則は小中高校で、それぞれ厳罰に処するべきだ。
まず、罪の意識がないことが問題なのであるから、その加害者生徒、加害者児童に反省を促す罰則が必要だろう。小学校には小学校の、中学校には中学校の、高校には高校の厳しい罰則が必要だろう。
私のように、精神科を受診する必要がある人間も被害者のなかには大勢います。ネット依存症となった若者を国をあげて治療に取り組む中国のように、国をあげていじめ被害者の破綻された人格形成を復興していくプログラムは必要だと思う。
そのうえで、私たちは私たちで、いじめという過酷な試練を乗り越えて行かなくてはならない。
未成年であるいじめ加害者への厳罰化、いじめ被害者の救済、それと同時に、行政によるケアだけでなく、民間でいじめと闘う組織も必要です。さらに、そういった組織や行政の手の届かない場合もあるだろうから、いじめはだめだという気風を作っていくのも大事です。さらに、個人レベルで、私たちいじめ被害者は、いつまでも世の中を恨み、いじめ加害者を憎み抜いていくだけではいけない。
いじめとは徹底的に闘い、なおかつ、人知れず苦しい試練を乗り越えて、生き生きと生きていかなければならない。