いじめの後遺症が薄まるのと同時間に、審美眼もぼやけ散漫になっているようだ。
死ぬほど苦しいいじめの後遺症にあえいでいる時、あらゆる審美の見極めは奇跡的にくっきりとしている。この鍛えられた優秀な審美眼こそが、いじめの後遺症に耐えてでも毎日を暮らせる糧、希望なのかもしれない。
しんどくて厄介ないじめ後遺症を抱えている人々は、「審美眼などいるものか! そんなものよりも、あたたかな青春の日々をくれよ!」と怒るかもしれない。
今彼らに見えている世の中のあらゆる風景は、背中がゾクッとするほど美しいはずだ。
残酷な朝の白い光ときたらまぶしくてたまらない。その白い外界を認めてしまうことの恐ろしさ!
異様にまぶしく白く光る窓の神々しいこと!
そんな風景を懐かしく思い、後ろ髪を引かれるように、いじめの後遺症が楽になってきた私は、強い焦りを持ち続ける。
怠惰な生活に堕していくように楽な生活は、本当につまらない。
あの頃、自信を持って見極めていた審美が愛おしくなってきた。