人は孤島にあらず。
自身のみで完全なる者はなし。
人はみな大陸をなす一部なり。
大海原の一部なり。
波来たりて土くれを洗いゆけば、洗われしだけ、
ヨーロッパは小さくなれり。
さながら岬の消えゆくごとく、さながら汝の友そして汝自身の領地の消えゆくごとく。
一人の死も我を小さくせん。
我は人類の一部なるがゆえに。
されば、誰がために(弔いの)鐘は鳴るやと問うなかれ。
汝自身のために鳴るなり
イギリス
ジョン・ダン
『ダンの祈り』より
いじめと闘うと一時的に損をすることも多い。相手の中に出来上がっている考え方を否定しなければならないのだから。耳も塞ぎたくもなるだろう。わかるよ、その気持ち。いじめ問題には、いくつかのアプローチの仕方を私は持っている。重要なアプローチの一つが、いじめに対する人々の誤った偏見を解くことにある。それをするためには多くの人々に嫌われる。いじめ被害者の救済だけでなく、加害者に知らず知らず人殺しをさせてしまうのが気の毒だ。更に、今のいじめに対する認識が甘い人々は、後世に愚かな人々として笑い物にされてしまうことは間違いない。なぜこのような深刻な子どもが抱える問題に対処しようとしなかったのかと。その言い訳を未来の人々が聞くとゲラゲラ笑われるか、あまりの人権意識の低さに言葉を失うことだろう。それほど非道い状況が今のいじめ問題である。その回答を知りながら、同時代を生きる人々にうまく伝え切れていない私のような存在は、彼ら以上の責め苦を味わい、腰抜け人権闘争家として後世の人に馬鹿にされるだろう。今のうちから、少しずつで良いから、いじめに対する偏見を正しい見方へ移行していく努力をされよ。
いじめ問題は、今行われているパニックによる買い占めと同じ状況がこの30年間続いている。最近は買い占めをする人も少なくなりつつある。いじめ問題に対する風評被害は、ここ数年毎に、正しい情報を得て、冷静に問題を見つめることが出来る人が多くなってきた。
生きることに罪悪感を一瞬でも持ってしまった人はそう感じてしまうのかもしれません。被害者に謝罪を試みたかつてのいじめっ子も、元暴走族に所属していた人間も、刑務所で罪を償い出所した人も、自殺を考えたことがある人も、みんな生きる価値があるという事に気がつくのではないかと思います。ズルい意味ではなく、私みたいな人間は、まっとうに生きていく意味がないと下を向いたまま生きていた人も、「腐っている場合じゃない」と180度気持ちが切り替わったのかもしれない。私たちいじめ被害にあった人は、彼らが今気づき始めた心を保ち続けて苦しくても正しく生きようとしてきました。それをかつて下を向いて生きてきた人は「偽善的だ」と私たちを罵り続け、非難がましい冷たい視線を浴びせてきました。
今、目覚めたかつての加害者たちの社会貢献の活動を見て、私たちは「偽善的だ」などとは一瞬たりとも思わない。なぜなら、私たちは、彼らのように地味かもしれないが正しい生き方の実践を続けてきたのだから。
下を向いて生きてきた人は、上を向いて生きてきた人のきもちを理解し、上を向いて生きてきた人は、下を向いて生きてきた人を理解し始めている。
私たち被害者の苦しい葛藤とは、この時期に下を向いて生きてきた人の気持ちを理解して受け止めていることにあると思う。
精神的に疲れ切って思うように行動がとれないというジレンマがあり、自分の力の無さに自分を責めてしまう。自分を責める必要など全く無いのに。
下を向いてしまいそうになる圧力に負けずに正しい生き方を維持することが大切だと思います。
これは今活発に目覚めた人たちが、まだ体験していない葛藤です。私たちはこの苦しい葛藤に負けないこと。今活発に目覚めた人々もまた、今の苦しい葛藤を抱える私たちの気持ちを理解する日が必ずきます。