三年前に書いたものです。全体として未熟で勉強不足ですが、いくつかでも何かヒントになればと思い掲載します。
いじめ条例といじめ法律を創りなさい。
そして1100人のいじめ被害者を救済しなさい。
私は私で新たにいじめを人権闘争と捉え新たにまた個人的活動を続けます
全国のいじめ撲滅のNGO代表達と何度も何度も会い、彼らの声を市政県政国政に大きく広く反映させなさい。
学校関係者総てにいじめ反対の意思表示オレンジのリボンをつけさせなさい。
いじめ2
育った環境により
作用されることが多いと聞きましたが、長い将来を見渡すとき、確かに有効な考え方であるとは思います。
しかし
それだけの視点では足りない。
では現役の苦しんでいる学生はどう救済できるのか。
去年の夏だったでしょうか
福岡市職員が飲酒運転で死亡事故を起こしたのは。
その後、福岡市を中心として、飲酒運転はしない、させないという気風が一気に高まった
酒類を出す店も
利益よりも人命
という最低限の人間としての良心を持ち合わせていると、いえるかもしれない。
ここのポイントを急所を絶対に見逃してはいけません。
昨今、いじめ問題を語るとき、人気取りだとか、綺麗事が好きなみなさんとかが語るのみという風潮がいつの間にか闇に紛れて蔓延している。
ここは
勇気を出してこのいじめ問題をしっかりと語らなければならない。言い切っていかなければならない。
今日もいじめられています。
今日も悩んでいます。
誰にも知られることもなく悩んでいます。
いじめられていると、声を発する機会を奪われます。
音楽と体育の時間が救われる時間帯です。
24時間の間で
中学生は行動範囲が大人が考えている以上に狭い。
自分を大きく見せたい一部の中学生は、大きな話を少し自慢気に大きな声で話します。しかし、インパクトは強いですが、実際はちょっとしたことです。
しかし周りで聞いている生徒は目を輝かせてその話の魅力の虜になります。
大人からしたら些末な事柄ですが、目を輝かせて聞いている子供たちにとっては全て勉強ととらえ、真剣に吟味をし、これから70年近く、生きていく人生の荒波を越えていく知恵として吸収しようとする
私が印象に強く残り安心感を得たのは課外授業で地域の大人のみなさんの話を聴くことでした。
またこうゆう機会があればいいなと思ってましたら、それが一度や二度あっただけで、その後どうゆう都合でかわかりませんが、課外授業は開かれませんでした。
子供ながらに定期的に
開催すべきだと思いました
いじめ被害者のみならず全員がいい雰囲気がつづいたような気がします。
形式化することを恐れてはいけません。
暫くすると聞こえてくるとは思います
無駄なんじゃないの?
という合理主義の人々の声が。
ここでひいてはいけません。
いじめ問題解決のためのとても重要なアプローチになり、学校という閉鎖的な空間と
世間一般の大人との垣根を取り払うことができます。
もっと言えば
鎖国状態の学校に風穴をしっかりと空けることができる。
様々問題が起こるでしょうが大事な急所をはずさなければ大丈夫です。
いじめ3
希望にあふれた顔を見せる中学生がふと見せる心の闇の部分
それを見つけられた時暴走します。自分でブレーキが利かなくなる。
不意にやってくる闇の部分。
凍り付いた目で殴り、罵り、疎外する。
子供の世界ではこれほど激しく心を引き裂かれることは少ない。
そういった態度をする側とされる側の気持ちの落差は大きく急務でありながら分かり合えない、一生引きずりかねない。
こういう部分を理解し合う努力をして早期解決できたら、中学生にとっても大きな前進になると思います。
この問題こそ
机上の空論になりやすいが絶対にあやふやにしてはならない。
では具体的にどのような働きかけができるか?
クラブ活動の場は先輩との交流の場であり、ひとつの社会となる。
障害者が障害者の相談に乗るピアカウンセリングというのがあります。
まさにクラブ活動は最初の自らが主体者となってのピアカウンセリング合戦の場所ともいえると思います。
では室内の空間で行われる授業はどうでしょう。
多くの生徒が疲れ切った感じでひとつの場所に集まっている
意欲的に勉学に励むもの
いわれるがままイヤイヤその場に座る人々。
いつの間にか、教室が生徒にとっての主戦場になっていない。
では何か?
待合室となっている。
そんな印象がある。
もっと教室が神聖な主戦場となれば、また違いが出てくるかもしれない。
いじめ4
いじめられている側が
取り返しが不可能な失敗をしてしまったと密かに後悔をしている場合がある。
自分一人で解決してみせるさ
と内心考えている
しかしそれが予想に反してうまくいかなかった時、相談する機会が奪われる。
周りからは無言のあざけりが聞こえてきて止まらず、ますます強がりますます孤立の度合いを増す。
これは学校を城と捉え、学校中心の考え方に陥っている場合にある。
以上述べたことは、私情が大いに混じっているから、実際の中学生がどのような思いでいるかはわからない。もっと率直に、クラブ活動の帰り道。夕景の美しさに心を動かされたり、働く大人の会話を聞いて、『いいな』と心で呟いているかもしれない。
悪い大人の影響をダイレクトに受け入れている場合も少なくない
タバコであったり飲酒であったり
先輩たちの中にもまれて生活をする場合があれば
学校自体のコミュニケーションは、その生徒からすれば、嘲り見下げる場所となる。
そうなると空気が大きく変わりだし、『ピアカウンセリング』的考え方でいる生徒たちは混乱し、時には恥をかかされ自分を引っ込めてしまう。
学校という場でいかにイニシアチブを取るかで、みんなが焦燥感におそわれ、視界、視野が劇的に狭まる。
この一部分がすっかり全体に蔓延してしまう可能性が非常に大きい。
それ自体が悪であるとか善であるとかではなくて、事実として大きな影響力がある。
純粋に希望の固まりのような生徒がいることが圧倒的に多いというのも事実であり、そのような澄み切った青空のような心の子供を捕まえて『盗みはいけないよ』などと言った所でどんな良い影響を与えることができるのだろうか。
上に記したような言葉のみを懸命に働きかけて続けていては、希望の塊のような純粋な生徒の心にいらぬ不純物を練り込み続けてしまうという結果になりかねない。そうなれば主体的な価値を創造する智恵を何度も何度も奪ってしまいかねない。
印象的な卒業式を行うことも非常に大事なことと思う。なぜなら、桜梅桃李の人間が集う場所で
唯一参加者全員が希望と不安とを共有できるのが卒業式であるからです。
この卒業式や入学式をちゃらんぽらんにすべきではない。
生徒先生保護者が一体となる式典。
そこに多くの教育のためのヒントが多く散りばめられている。
中学生生活が凝縮されるのが、卒業式や入学式であると思います。
厳粛な式典というのは生徒たちの胸を打つと思います。
いじめ5
さて今回私が一番知っていてもらいたい事実を記します。
それは
いじめ問題は卒業式と共に全てがゼロにはならない。
最低十年の間。実際にいじめを受けていた三年間よりも、生々しく苦しみます十年間、四六時中苦しみ続けるのです。
ですから現在、百人の生徒が実際の中学生としていじめを受けて苦しんでいるを数字上仮定します。
毎年百人が苦しんでいる訳ではないのです。
十年間四六時中苦しみ続けるのですから
今年の現役中学生百人
プラス十年前にいじめを受けた現在二十五歳の青年百人。
9年前24歳百人
8年前23歳百人
1年前16歳百人
今年のいじめ被害生徒の11倍の1100人
がいじめ問題に四六時中苦しみ続けているのです。
この事実をしっかりと
理解していただかなければ
いじめ問題は未来永劫に解決されることは断じてありません。
いじめによって否定されるのは
中学生時代の全人格
上記した希望の塊のような心も爽やかな挨拶も、恥じらいの壁をぶち破った友情も勉学に対する意欲的な姿勢も。全て全て総て総て否定されているのです。善の行動も正義感も。
悪人として放置されたまま卒業後の10年間を過ごすことになるのです。
その対策を練らなければならない。
年間1100人の苦しみ続ける人々。
私を含めた彼らに絶対に何らかの手を打たなければならない。
ご承知の通り1100人の進路はバラバラです。
犯罪を起こしてからの情状酌量云々をしても遅い。
それならば
メンタルケアに重きを置いた無償の職業訓練校を設置していただきたい。
ジョブカフェはその意味では非常に近い施設であると思います。
しかし、あくまでも、仕事を探すための施設です
いじめ問題に苦しむ人々の根本的解決にはなりません。
大切なのは根本的な問題の解決です。
ここを一生懸命働かなければ大きな人材の喪失となる。
『そんなものまで』と匙を投げてはいけない
人的な資源の大喪失の時代ともいえるだろう。
早く手を入れないと本当に腐ってしまう。1100人もの人材を。
現実問題として、第二次世界大戦等の被害者には恩給が長く支払われる。
心神喪失状態にまでおいつめられた青年達をこれからも甘んじて排出してもいいのですか?
お金を支払える制度を作れとは言わない。それが最良とはどうしても思えないからだ。
お金ではなくて
このように考えてもらちがあかない
ではどうするのか
一時期提案された
いじめを行った生徒を停学処分にするなど法的に取り締まる必要がある。
停学にしたら授業が遅れる云々、そんな生徒こそ学校で学ぶべき云々との声があるが、そのようなことをいう人間はいじめがどれほどの悪かということに気がついていない。生徒もその保護者もいざその法律が施行されると、確実にいじめは激減すると共に、1100人の自己否定をしながら苦しみ続ける人々へも、強いメッセージとなります。
四年後の今回こそ本当の庶民一人の声に真剣に耳を傾ける時が来たと強く感じています。
先駆を切って、条例を作るべきだ。世の中を良くしようとする一青年の血を吐く思いの提案をこれ以上足蹴にすることは許さない。