精神の鍛えがなくなり安逸に流されるようになれば、そこから堕落が始まる。停滞は敗北に通じる。
今までどんなに頑張ってきても、途中で手を抜けば、すべては水泡に帰してしまう。
口先だけの要領や遊び、ずるさがあってはいけない。責任を持って、最後の最後まで、真剣に戦い抜いていくことだ。
自分を「覚醒」させ、生まれ変わったような思いで進むのだ。
私がブログを始めるにあたって一番
気をつけなければならないと常に
心に留めているポイントである
軽薄にならないだろうか
自身のブログ記事に
執着してしまい
惰性に陥らないだろうか
常にいつも考えることだ
不正直ではいけない
と私は強くおもっている
今の『私』を表現したい
自身がこのブログを含め、自身を鍛え上げていく過程を綴る
自身を成長させる過程の一部分である
排他的な自分からの脱却
自らの独善を笑う客観性
そして
持病である精神障害からくる
統一感のない言葉を
いかに
整合性のある文章にしていくかの訓練
他人に見せない日記だけでは
自身を(私の場合)誤魔化してしまうこともできる
私は中学生の頃から自分で日記のようなものを書いた
そう
このブログ内容のような
自身の精神史を
自身の内面と
周囲の人々の目にはいつもいつも大きなギャップがあった
うまく伝わらない思いを誰にも読ませない日記に書き殴ったのだ
私と他者とを結ぶのは
なにか
本当の心の声
虚飾のない心の声を忌憚なく綴ることが
私の自分に対する挑戦である
書きたい!
という強い衝動がある
表現したい!
という強い衝動がある
私は残念ながら
楽器を演奏する努力を継続的に行い
自身の表現として昇華するまでには至らなかった
絵を描き
言葉にならない内面世界をキャンパスに映すまでにも至らなかった
私に今できる
表現方法は
拙いながらも文章を書くことである
私の周りには素晴らしい音楽を奏でる人がたくさんいる
私の周りには社会で仕事で信頼され誰よりも熱心に仕事に取り組む人が大勢いる
私の周りには重い障害を抱え人生を放り出す直前の人もいる
私にできることは何か
ひとつは
互いにピアカウンセリングをすること
様々な文章を綴り
私の思うところを伝えることだ
私のこのブログをやるなかで
あまり考えていないことは
読み手の気持ち
といえるのかもしれない
実際に
今
いじめに苦しんでいる中学生が
このブログを読んでくれているのかもしれない
そう今思うと
その彼または彼女らは
これを読んでどんな気持ちになっているのだろう…
もし
深く傷ついていたり
深く絶望や失望感を感じてしまっていたとすれば
とても残念だ
いじめはいけないと訴えながら
いじめられている君が
私の狂気とあいまって狂おしいほどに
自分を追い込んでしまっていたらと
深い深い
不安を覚える
今
いじめられている君が
この記事に向き合い
また自分をあえて傷つけているかもしれない
今は苦しみのまっただ中だろう
でも
僕は君に
自分に負けないでほしい
とお願いしたい
そして
自分をいじめないでほしいと思う
もし君が
インターネットを通じて書籍を買える環境があるなら
私は一冊の本を強く勧める
『希望対話』または『希望対話③』
聖教新聞社
だ。
僕はこの本を読んでずいぶん心が軽くなった。
わかってくれる大人がいた!
これが私が読んだ率直な感想である。
だから君は
この私のブログは
ある壮絶ないじめを受けた一体験者の
その後の経過報告として読めばいい。
私は
君も知っての通り
あまり推敲を重ねず
今の気持ちをアップしている
だから
感情的に書いてしまうこともあるから
すべてが正しく真実である訳ではないことを知ってほしい
もし
お金に少しの余裕があるのなら
『アルジャーノンに花束を』を読むといい。
この作者もまた
わかってくれる大人の1人だと私は思っている。
さてここで
もう一度私自身に訴えかける
私には表現したい!
という思いがある
もしかしたら
また別な読者に対して
知らず知らず悪影響を与えていないかと思う
その部分はあまり考えずに書いている
誤解を与えかねない記事だと思う人もいるのかもしれない
私はすべてを伝えようとはしていない
真偽を知りたければ
謙虚な姿勢で
書籍を1人読めばいいし
謙虚に知人友人から話を聞いてみるとよい
このブログからだけで
すべてを判断しようなんてのは
傲慢だしあまりにも浅はかである
基本は
目の前にいる人との対話だ
その辺をはき違えないように
読んでほしいと願います。
最後にも一度
いじめられている君へ
私たち大人は
真剣に君たちの味方であろうとしている
私が中学生の時同年代はみなが
いじめ肯定派になるのではと心底不安だったが
実際は
いじめを嫌悪する社会ができつつある
私は戦い続ける
君は不敗の
連勝記録の更新を続けてほしい
希望を絶対に見失わないでね。
永井。