希望対話―ⅩⅤ過保護じゃないか」とか思っていた | 晴れわたる青空の下で

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人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

ともかく、今、いじめている子だって、何かのきっかけで、びっくりするくらい「変わる」。「優しい心」は、だれの中にもあるのだから。
だからこそ親は、自分の子どもが「いじめをしている」ことに対して、真剣に対処してほしいのです。成績には、あれほど敏感なのに、人格を育てることには、あまりにも無関心な気がしてならない。





じつは、あるお母さんは、自分の子どもが「いじめっ子」だったときは、相手のお母さんから「何とかしてほしい」と言われても、口では「すみません」とあやまりながら、心の中で「そんなに大さわぎしないでいいじゃないか。過保護じゃないか」とか思っていたそうです。
ところが、自分の子どもが今度は「いじめられる」ようになって、あわててしまったんです。「もう学校に行きたくない」と泣く子を前に、わが身を切られるような思いがする。そのことを話しても、相手の親も、先生も、前の自分と同じで、本気では相手にしてくれない。つくづく自分の身勝手さがわかったそうです。




いじめられる身になってみないと、わからないんです。




もちろん、「いじめる子」にも、それなりの言い分があるでしょう。「いじめ」という行為で発散しなければおさまらない「いらいら」とか「さびしさ」もあるのかもしれない。しかし、どんな理由があろうとも、人を傷つけてはいけない。大人も「してはいけないことは、どんなことがあっても、してはいけない」と、はっきり教えなければいけない。



ここを「あいまい」にして、加害者も被害者も「どっちも、どっち」くらいに思っているかぎり、いじめはなくならない。
日本の風土には、善悪をあいまいにする悪いくせがある。正義の人が悪人と戦っているときでさえ、けんか両成敗━━「『けんか』になるのは、どっちにも原因がある」などと言って、すましてしまう。