中国共産帝国主義。 | sooのブログ

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今日のニュースで報じられていたが、アメリカのヘーゲル国防長官と
中国常万全国防相との会談で、ヘーゲル国防長官が尖閣について
「日米安全保障条約に基づき日本への防衛義務を果たす」と伝えたところ、
常万防相が「領有権については妥協も譲歩も取引もしない。 
領土を保護する必要があれば、武力を使用する準備はできている」と反論したという。

 そこで、中国についての関連ニュースをお伝えしたいと思います。


産経モバイルニュース 2014.4.9 より抜粋編集

過去を反省すべきは一体どっちか!
正しがたき中国帝国主義を暴く。
(早稲田大学教授 有馬 哲夫 月刊正論5月号より)

アメリカ機密文書が語る中国共産党の【侵略のDNA】
アジア各地からの軍事機密情報が明らかにする中華人民共和国の姿。


 近年、中華人民共和国の海洋での侵略的動きが目立っている。

 アメリカがベトナムから撤退した後の1974年に南ベトナムから西沙諸島を奪い、
やはりアメリカがフィリピンの基地を閉鎖した1995年には南沙諸島のミスチーフ環礁を、
さらには2012年にはスカボロー礁を不法占拠した。

 現在、中国は尖閣諸島に海洋監視船や漁業監視船を投入し、日本のEEZ内の航行や
領海侵犯を常態化させている。
 中国の監視船が日本の漁船を追跡し、海上保安庁の巡視船が間に割り込んで
漁船を保護する事態まで起こっている。(ただし、この漁船には訳ありのお客が
乗っていたのを中国側が察知し追いかけたようだ)

 さらに、中国は昨年9月に空母遼寧(りょうねい)を就航させた。 これは旧ロシア製の
中古空母で訓練用ということだが、もう一隻 国産空母を建造しているようだ。
これが完成すると侵略的動きに拍車がかかることは明らかだ。
 今以上に軍事的な緊張が高まることは避けられない。


 筆者はこれまで、このような中国の侵略的拡張主義はいつ始まったのかという
問いに対する答えを捜し求めてきた。 そして最近公開された「マッカーサー
記念アーカイブス」所蔵の「アメリカ極東軍司令部電報綴 1949-1952」の中にその答えを
見つけた。 それは1949年の中華人民共和国の誕生からだった。
(この文書は1949年から1952年(日本占領終結時)まで、本国の国務省が
各国のアメリカ大使館から集めたアジア各地域についての諜報を東京の
アメリカ極東軍司令部に送った電報の綴り(ツヅリ)で、その内容は必ずしも中国に
限定したものではない)

 にもかかわらず、これを丹念に読み込み、情報を貼り合わせていくと、生まれて
間もない中国が、極めて貧欲にアジアの周辺諸国に侵略の手を伸ばし、これらの国々の
間に紛争を起こしていく姿が鮮明に浮かび上がってくる。

 断っておくが、軍事諜報は、プロパガンダと違って事実かどうかが重要なので、
アメリカ側から出てきたものとはいえ、信頼性は高い。

 筆者にとって意外だったのは、中国のアジア各地での拡張主義的動きは、朝鮮戦争と
時期が重なるということだ。 筆者は朝鮮半島に約30万の軍隊を送った中国が、
この戦争に掛かりっきりだったと思い込んでいたが、実際は全く違っていた。
 中国は朝鮮戦争とほぼ同時進行で、ベトナム北部に大群を送り、ミャンマー北部、
タイ、ラオスと、中国南部の国境地帯で領土拡張の浸透作戦を行い、また、台湾に侵攻
するための艦船の供与を旧ソ連に求めていた。
 しかも、前年の1949年には既にチベット東部を侵略していて、朝鮮戦争最中にも
中央チベットまで侵攻し、チベット征服を完成させている。 正しく貧欲そのものだ。


 こういった中国の侵略的動きの全体を見ると、朝鮮戦争への中国の参戦が
これまでと違ったものに見えてくる。 つまり、この参戦は自衛というよりは、
周辺諸国に対して起こしていた
一連の拡張主義的動きの一部だったと見ることができるということだ。 事実
この戦争のあと、旧ソ連に代って北朝鮮の宗主国となる。


 その後中国は、さらにベトナム、ラオス、ミャンマー、タイ、インドへとターゲットを
変えつつ、侵略的動きを継続させていく。 近年の西沙諸島や南沙諸島の島々の強奪、
そして尖閣諸島への攻勢は、この延長線上にあるのだ。
 本論では、極東軍事電報綴から、中国が建国直後からどのように周辺諸国へ侵略の
手を広げていたのか、その実態を明らかにしていきたい。



「共産主義拡大のためには国境線など忘れるべき」

 まず、中国の拡張主義的動きがどのような背景から起こったのかを知る必要がある。
以下、アメリカ本国の国務省とGHQ(東京)間の1950年1月24日の電報はこれを
明らかにしてくれる。

(前略)中国の勢力圏の中においては、チベットを含む戦争に、ソビエトは中国に
特別な権利を認めることになっている。 熱烈な親ソ派は、共産主義拡大のためには
国境線など忘れるべきだとする。
 共産主義のために中国が提供すべきとされる兵力は500万人に引き上げられた。 
30万人の中国人労働者が既に満州からシベリアに送られており、更に70万人が
6ヶ月のうちに華北から送られることになっている。
 中国のあらゆる施設と炭鉱にソビエトの技術者が受け入れられることになっている。
 ソビエト式の集団的・機械的農業を夢見る熱烈な親ソ派は、農民がいなくなった
耕作地と残された人々の飢餓を平然と眺めている。

 ここでは中国とソ連の間の密約が明らかにされている。 つまり、中国は共産圏
拡大のために500万人までの兵力を提供することを約束し、満州と華北から
100万人の労働者をシベリアに送ることにしている。
 それと引き換えに、中国の鉱山や施設に旧ソ連の技術者を送ってもらい、また、
領土を拡張することをソ連に認めてもらっている。

 満州と華北の人民といえば、軍閥同士の覇権争い、日中戦争、旧ソ連軍の侵攻、
国共内戦によって多大の被害を受けた人々だ。
 新生中国は、よりによって、もっとも戦禍に苦しんだ同胞をシベリア送りにし、
その代わりとしてソ連の技術者を派遣してもらい、隣国を侵略する権利をソ連から
得たのだ。

 しかも、とくに熱烈な親ソ派は、大動員の結果として広大な耕作放棄地が生じても、
あとに残された人々が飢餓に苦しんでも、平然としているという。 ソ連式の集団的
機械化農業が導入できるというので、このような事態を歓迎しているようだ。
 朝鮮戦争に駆り出されたのもこの地域の住民だったのではないだろうか。
「中華人民共和国」といいながら、中国共産党幹部は人民の生活と生命をないがしろに
している。
 (引用文中にチベット侵攻についての言及があるが、これについては1950年1月15日付
の駐インド・米大使館発の電報がある)


 チベットの政治的地位について議論するのを避けながらも、インド政府はチベットに
僅かばかりの武器を与え、外交的支援も行っている。 インド政府はいかなる状況下
でも中国共産党と敵対するために軍隊を送るつもりはない。 中国の決然たるチベット
侵攻を前にして、インド政府の対応は中国共産党を思い留まらせるようなものではない。
 サルダール・パテル初代副首相は個人的な会談で、中国はインド政府が何を言おうと
耳を貸そうとしないと述べている。




・・・以上、抜粋で全文ではありませんが、中国を考察する際の
参考にでもなればと、、

それでは。