北方領土の日 ニュースを引用 | sooのブログ

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米極秘文書「北方四島は日本保持」を諜報駆使し、スターリンが熟読


-「ヤルタ密約」で主導権-

 今日7日は北方領土の日。先月31日の日露次官級協議でロシア側は「北方四島は第二次大戦の結果ロシア領になった」との従来の主張を繰り返した。

 ロシアが北方四島領有を正当化する根拠としてきたのが1945年2月のヤルタ会談で交わされた「ヤルタ密約」だ。 会談直前に米国務省は「北方四島は日本が保持すべきだ」との報告書を作成しながら、ルーズベルト米大統領は一切目を通さず、逆に事前に入手したソ連のスターリンが熟読し、ルーズベルトが国務省の進言に従わないことを奇貨(利用すれば大きな利を得られるかもしれない機会や物事、得がたい機会を逃さず)利用すること)として主導権を握り、巧みに北方領土を奪ったことはあまり知られていない。
                          (岡部 伸)


-ルーズベルト無視-

 米国務省はクラーク大学のブレイクスリー教授に委嘱して千島列島を調査し、1944年12月に「南千島 (歯舞、色丹、国後、択捉の四島)は地理的な近接性、経済的必要性、歴史的領土保有の観点から、日本が保有すべきだ」との極秘報告書を作成、ヤルタ会談前にルーズベルト大統領とステティニアス国務長官に手渡した。
 ワシントンポスト紙の元モスクワ支局長「マイケル・ドブズ」氏が上梓した近著『ヤルタからヒロシマへ』によると「スターリンは盗聴報告のほか、スパイがもたらす米国の説明文書も目にすることができた。 共産主義の崩壊後、彼の個人ファイルにはクリール諸島(千島列島)のソ連への割譲に反対する1944年12月の米国務省作成の内部文書が含まれていることが分かった。 ルーズベルトはこうした問題で自国の専門家の見解を読む気にならなかったが、スターリンはあらゆる微妙な綾まで貪り読んでいたのである」そして「ルーズベルトが国務省の助言に従わないことを喜んだ」という。
 またスターリンは往年の覇気を失ったルーズベルトの病名がアルパレス病(動脈硬化を伴う多発性の微小脳梗塞)で、精神がもうろうとして正常な判断ができないほど悪化していたことを正確に把握していた。
 スターリンはインテリジェンス(諜報)を駆使して、ルーズベルトと米国を丸裸にして南樺太同様に「北方四島も日露戦争で奪われた」とルーズベルトを欺いたのである。

 では、何故ルーズベルトは国務省の進言を無視したのだろうか・・・?

 米軍は日本本土上陸作戦(ダウンフォール作戦)になると、日本軍の抵抗で50万人の兵士が犠牲になると推定しており、背後からのソ連の参戦を望んだためだ。 この当時は原爆が完成していなかった。

 米国は1941年4月、モスクワで日ソ中立条約を締結した際、スターリンが松岡 洋右外相に「条約締結の見返りに千島列島の譲渡を要求した」との日本の外交電報を傍受し解読していた。
 北方四島を含む千島列島に領土的野心を燃やすスターリンの歓心を買おうとしたともいえる。 ソ連に大きく譲歩する合意に再考を促したハリマン駐ソ大使に対し、ルーズベルトは「ロシアが対日戦の助っ人になってくれる大きな利益に比べれば、千島は小さな問題だ」と進言を退けたという。

 ルーズベルトの背後で暗躍したのがソ連のスパイたちだった。 ルーズベルト政権には200人を超すソ連のスパイや工作員が侵入していたことが米国家安全保障局(NSA)の前身がソ連の暗号を傍受、解読したヴェノナ文書で判明している。
 ステティニアス国務長官の主席顧問としてヤルタに随行したアルジャー・ヒスもその一人で、ソ連の軍参謀本部情報総局(GRU)のエージェントだった。

 ステティニアス国務長官の主席顧問としてヤルタに随行したヒスは、国務省を代表して殆んどの会合に出席し、病身の大統領を補佐した。 会談の19日前、米国の立場に関する全ての最高機密ファイルと文書を与えられ、ヤルタ協定の草案も作成している。 そこで北方四島を含む千島列島引渡しのアウトラインを描いた可能性が高い。
 ルーズベルトが国務省文書を一顧だにせず北方領土を引き渡した背景にスターリンの意を汲んだヒスの働きがあったといえる。



-プーチン氏も踏襲-

 このヤルタ密約を根拠に、ソ連は北方四島を占領し、現在も後継国家ロシアは「第二次大戦の結果、自国領になった」と北方領土を領有する歴史的正当性を主張し続けている。
 プーチン大統領も「ロシアが積極的な役割を果たして達成したヤルタ合意こそ世界に平和をもたらした」と評価し、31日の日露次官級協議でもヤルタ密約をサンフランシスコ講和条約、国連憲章の旧敵国条項などとともに根拠に挙げた模様だ。
 しかし、そもそもヤルタ密約は、連合国首脳が交わした軍事協定にすぎず、条約ではないため、国際法としての根拠を持っていない。 さらに当事国が関与しない領土の移転は無効という国際法にも違反しており、当事国だった米国も法的根拠を与えていない。 共和党のアイゼンハワー政権は1956年、ヤルタ秘密議定書は「ルーズベルト個人の文章であり、米国政府の公式文書ではなく無効」との国務省声明を発表。 2005年にはブッシュ大統領が「史上最大の過ちの一つ」として批判している。
 「ヤルタ密約」が招いたのは北方領土問題だけではない。 中国、北朝鮮などアジアに共産化を引き起こした。

 8日、ロシア南部のソチで日露首脳会談が行なわれるが、北方領土問題の原点ともいえる「ヤルタ密約」を克服して、国際的に合法な国境画定ができるかが鍵となりそうだ。





※ ヤルタ会談(1945年2月4日~11日)

 ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリン露首相が、ソ連領クリミア半島のヤルタで会談し、ルーズベルトはスターリンに日ソ中立条約を破棄して、ドイツ降伏3ヵ月後に対日参戦するよう要請。 見返りとして北方四島を含む千島列島、南樺太、満州(中国東北部)に日本が有した旅順港や南満州鉄道などをソ連に与える密約を交わした。

 ソ連は密約を根拠に終戦間際の8月9日、満州、千島列島、樺太に侵攻し、北方四島を占領した。




以上、 ニュースより引用しました。