おはようございます。

長女がお土産に持ち帰ってくれたパンが
朝ごはん♡ 
ママ、うれしいよぉ💕ありがとう‼︎
そして、いつもより、おいしく感じます♪









さてさて
バリバリバリバリバリバリ

真夜中に、うさぎののんのちゃんが
わたしの大切なカゴを食べています。
和室の畳も、食べています。

わたしにとったら
それは、カゴであり、畳だけれど

のんのちゃんにとったら
それは、おいしい食べ物なのです。

わたしと、のんのちゃんの認識が違うから
同じはずの物なのに
別のものになります。


わたしが
一万円札を差し出せば

のんのちゃんは、「ごはーん💕」と思い

遠い国の見知らぬ人が見たら「汚れた紙」と
思うかもしれません。

でも、そこに誰もいなければ
一万円札は、ただのモノです。
ないも同然。

あるようで、ない…

これを仏教で「空 くう」 と呼びます。

でも、ひとたび
どんなものも、どんなことも、
「相互に関係し合う縁」により
その実体が実体たらしめます。

「一万円札」にもなり
「ごはん」になり
「ただの汚れた紙」にもなる
でも。そう思える縁がなければ、
なんにも無いのです。


すべてのものごとは
それぞれが単独で存在しているのではなく

「縁」というものがあって、〇〇と認識できるようになります。 
縁がなければ、この私ですら、空なのでしょうね。


つまりは、わたしたちみんな
仏さまの、縁というお慈悲がなければ
互いの認識すら無いわけです。

縁がなければ、
わたしも、あなたも、
景色の一部に見えるだけでしょう。

それほど縁というものは有難く
不思議なものでありますね。


縁によって見え方が変わる…
あるようで、その実体はない世ならば

自分が見たいように見ている世界…
とも言えますよね。


空、、、ておもしろいですね

バリバリバリバリ畳を食べる
うさぎの、のんのちゃんも、

このわたしも、
あなたも、
どなたも、

縁なき状態から見れば
同じもの。


わたしたちは
「地球」とよんでいる
大きな一つの生命体の中に浮遊した点々なんでしょう。

いやいや「宇宙」とよんでいる
見えないほどの大きな一つの生命体の中の
点々…

すべては、まんまるお慈悲の中で
ただ生かされている
…だけなのかもしれませんね☺️

すこやかな一日を。