おはようございます。

畑のお野菜もりもりに、
先日お出かけした岐阜の五平餅の朝ごはん。

さて…さて…今日は
昨日、順子さんと車の中でした
うんちのお話をシェア♡






わたしが将来
ツリーハウスで
お客さんにお料理をお出しする時に
畑のお野菜だから、シンプル料理でいいよね?…て

「ゆうたんの『声』をかけて育てた野菜です」
…てお出しするのー!
…と順子さんに話かけたら

「えええーー!ゆうたんの『肥え』!?」
…と順子さんは驚かれました🤣
「まぁ、それを喜ぶ方もいるでしょうけれど」…と。。。🤣笑

文字ではなく、耳で聴く音だと
「声」も「肥え」も同じですよね。

おなじ「コエ」という音。

どちらもおなじ
「私の体から排出されるもの」です。

わたしが
五感で味わったものすべてが
声となり、うんちとなり、
外に出されるわけです。

いれたものが、出るだけ。
声も肥えも、同じです。

ちなみに
カタカムナ文字の解釈で
「こえ」を読み解くと

「こ」転がり入る、転がり出る
「え」移る、映る、写る

つまりは
『自分の中を通したものが映るってこと』
と、順子さんは教えてくださいました。

だから
「声」も「肥」もおなじですね。


うんちを無意識的に汚いと思う人は
おそらく、声も、汚れていらっしゃるかも?

でも
うんちを「お便り」だと感じられる感覚があるのなら、お声もきっとやさしいのでしょう。


いつも私がカラダの中に取り入れる、
音、景色、香り、食べ物、飲み物、感触、空気
あらゆるすべてを心地よいものを選んで過ごしているのは

わたしの作る野菜や料理にも、
わたしの描く絵にも、
もちろん声にも排泄物にも匂いにも雰囲気にも…なにもかも
そのまんま外に出てしまうからです。

うんちが臭いのなら
同じように
声も汚い音を吐いているはずです。


わたしや、
仲良しの順子さんも、お坊さんのかなちゃんも
初めて人と出会った瞬間
どんな人かを、すぐに感じますが

それは
その人が日々の暮らしの中で取り入れている
あらゆるすべてが、外に出ているだけの話です。

その人の瞳から溢れる光の量も
その人の声の質も
その人の醸し出す空気の硬さや色も

とりいれたものが
溢れているだけです。

カタカムナの『コエ』は
『自分の中を通したものが映る』
そうゆうことですね。

取り入れるすべてを
やさしいものにすれば、やさしい人になりますね。

取り入れるすべてを
嘘偽りのない、本物にすれば、本物になりますね。

この世は、すべてをうつす、鏡のようですね。

あ。そうそう!
赤ちゃんである我が子が出したうんちを
かわいい!と、ママは感じますよね?

それは愛をとりいれて
愛を出しているからでしょう😊

あ。もう一つ。
「肥溜め(こえだめ)」というものが
昔、各家庭にありました。

うんちを発酵させて、畑に活用していました。
立派な肥料です。

昔の人たちは
美しいものを取り入れていたので
「肥え」にエネルギーを感じ、愛を感じ
「肥えをためる場」を作っていたのでしょう。

そんな日本に戻らないかな。。。

みんなが自然の恩恵を取り入れて
感謝を吐き出す日本に。。。

すこやかな一日を。