おはようございます。
冷蔵庫の残り物を
焼いて並べただけの朝ごはん。
お買い物へ行かなくては◎
さて。。
昨日も書きましたが
はじめましての人に会って
私は黙って、ただただ「うんうん」と
お話を聴かせて頂きます。
すると
急にその方の目から
涙がこぼれおちます。
どこに行っても、
たくさんの方が泣き始めるので
きっと周りの人が見たら
私はすっかり悪役です。笑
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でも、
私は何もせず
ただそこにいるだけです。
でも、
「許されてる」と漏らしながら泣いて
辛さを吐き出して
元気になっていかれます。
その光景に驚いてしまうのは
他の誰でもなく、私自身です。
そして
「どうぞ、泣いてください。
泣いたら癒えますから」
…と、お声をかけることもあります。
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・
私は、いつも
「そのまんまでいいよ」
…と、口にするわけでもありません。
静かにうんうんと耳を傾けているだけです。
私自身が、ダメな私のまま
「そのままでいい」と私を許していて
「そのままで救われる、この身」
「あみださんに、だっこされ、安心して生きている姿」
…が、目の前の方に伝わるんだと思います。
・
だから
同じように
「このままの自分で、許されていいいんだ」
…と感じられて
安堵の涙を流されているのかな、、と
思っています。
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たくさんの人は
「こんな自分じゃダメ」
「もっと頑張らなきゃダメ」って
いつも、より良くなろうと、
今の自分を、心の中で、心の声で、
自分自身を否定しながら、傷つけていらっしゃる方が多いです。
昔、わたしも、そうでしたから
よく分かります。
でも、わたしたち人間は
いくら頑張れど
どうしようもない存在だと知ると
良い人であることへの諦めもつき
そのままを、阿弥陀さんにおまかせしようと
思えるようになりますよ🌼
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「煩悩具足 ぼんのうぐそく」
という言葉が仏教にあります。
煩悩は
私たちを「煩」わせ「悩」ませるものですよね。
すべての人は煩悩具足と言われています。
「具足」とは、それでできている…ということです。
私たちは、100%煩悩で出来ています。
人間から煩悩をとったら何も残りません。
煩悩の塊が私たちだということです。
煩悩具足の私たちが
修行しても…磨いても…がんばっても…
それで、しあわせを得ることはできません。
でも、、、
「煩悩即菩提 ぼんのうそくぼだい」という言葉があるのですが、
煩悩がそのまま、よろこびに転じるという意味です。
このことを、親鸞聖人は氷と水にたとえられています。
氷が煩悩で、水が菩提を表していますが、
煩悩が消えてなくなる訳ではなく
そのまんま
「カチカチの氷が溶けて、サラサラの水になる」
煩悩をもったまま救われる、、、ということです。
「渋柿が、甘い干し柿になる。。。」て感じでもあります。
頑張って、磨いたり、
渋柿の「渋を抜いて」「甘みを入れた」のではなくて
元々あった
渋柿の「渋が甘みになった」だけ
渋柿が渋ければ渋いほど、甘い干し柿ができます。
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煩悩が「やがて」悟りの縁となることではなくて、
「即」…「そのまま」…「同時にある」ということ。
阿弥陀さんは
地獄行きを免れない煩悩具足の私たちを、
そのままお救いくださると、おっしゃっていますよ。
そのままで、今、すでに、許されています。
ありがたいですね😊
おまかせし、
安心して過ごせるこの身を
よろこびましょう☺️🌼