おはようございます。

蕗のお味噌、おいしい🫶
お庭の水菜も、おいしいです😋





さて…
昨日のお寺の行事の時に
お座敷でご法話くださる80歳の先生と
お話させていただいた時に
「6つの根っこ」の話になりました。

仏教には
「六根清浄」という言葉があります。

「六根」とは
五感と、それによって生じる心の働きのこと。 

眼 げん (視覚)、 耳 に (聴覚)、 鼻 び (嗅覚)、 舌 ぜつ (味覚)、 身 しん (触覚)、 意 い (知覚)の6つです。

「清浄」とは
煩悩や私欲から遠ざかり、清らかで汚れがない境地。 


人間の私欲が刺激されたり、
煩悩、迷いを引き起こすのは
この6つの根っこがあるから…とされています。

美しいものを見たら
自分のものにしたい…と思ったり

美味しい匂いがしたら
食べたい…と思ったり

人間は、この6つの根っこがある限り
思い悩み苦しみます。

かと言って
その根を、切り離して、無くすことができないのも、また人間です。

では、、どうしたらよいのか?

その答えは
「諦めて、受け入れる」でした。

「諦」は仏教で「真理、道理」の意味があります。

本来「諦める」とは、
「真理、道理を明らかにする過程で
自分の願望が達成できそうにないことを知り、
納得し、その思いを断ち切る」という
プラスの意味合いで使われました。

自分の思い通りにはならないのが
この世の中です。

それをそのまま
「そうですか」と受け入れていくだけです。

そこには「自他への許し」があるように感じます。

しかしながら
食べたり飲んだりと、地獄の種まきを毎日している人間である私たちを
阿弥陀さまは「地獄には落とさず、そのままお救いくださる」と
おっしゃってくださっています。

わたしたちは、そのままで救われる身です。

つまり、そのままで許してくださる
有賀い阿弥陀さまがいらっしゃるのだから

せめて、わたしたちも、阿弥陀さまのように
自分の目に映る日常に
あーだこーだ言わず、
なんだかんだ思わず、
そのままを受け入れていく…を心がけたら

この娑婆世界を生きながらも
その場を地獄にせずに済む…

そうゆうお姿を
身をもって示してくださっているのかもしれません、、、と感じています。

親の背を見て、子は育つ。
阿弥陀さんの背中を見て、私たちは
お育てにあっているんでしょうね。

すこやかな一日を。