おはようございます。

全粒粉のパンおいしい。
全粒粉でパン作りしてみたいなぁ〜





さて。昨日
今、オーストラリアにいる友人が
ストーリーの投稿で

「パースにきてから2ヶ月半、はじめての雨!
恵の雨‼︎ 丸1ヶ月続いた40度が終わった!

空気に湿度がある‼︎ 風が涼しい‼︎
恵の雨さん、浄化の雨さん、ありがとう

雨宿りも気持ちいい」
…と投稿していました☺️💕

私は思わず友人に
『雨よかったね!日本は、雨が続いていて
今日、ひさびさの晴れ☀️

あしたは、また雨だけど
雨も、おひさまも、恵みだね☺️💕
ありがたいし、うれしいね!』とメッセージを
送ると

友人は
『久しぶりの晴れ☀️良いですね!
太陽さんのパワーを感じられますね🥰

雨は1時間くらいであがっちゃいましたが、その間公園で雨の音や匂い潤いを楽しみました☔️✨

本当ですね、色んな恵みの中で生かされ有り難いです🌏』

そんな、やりとりをして
互いの環境によろこび合いました☔️☀️

雨もお日様も。
必要な場所に、必要な環境を整えてくれる「地球の在り方」は、「阿弥陀さんの在り方」と同じだなぁと感じました。




…そんな時、別の方から
メッセージを頂きました。
要約すると、こんな感じの質問でした。

「ゆうたんは、長い間、難病になったり
急に片耳が不自由になっていますが
不安だったり、辛くないのですか?」

…というものです。


お答えします。
20代の頃は、いろんなことに悩んだり
苦しいとか、辛いとか、思いましたが

それは、思い通りにならないことを
思い通りにしたいという
私の心が生んだものでした。

今は、仏様のおしえを頂いて
心身が思うようにならなくても
不安も苦しみも感じません。

痛いのは、嫌だけど☺️❣️

でも、どんなことも、受け入れて過ごしています。

「ああ、そうなのか」というだけです。

良いも、悪いもない、
増えもしないし、減りもしない。
汚くもないし、綺麗でもない。

ただ、そうなだけ…です🌼


たとえば私が
「難病だなんて、不幸だ」とか
「40代で急に耳が聞こえにくくなるなんて、早すぎない?」
「ストレス?更年期なら、こうした方がいい」
とか
「毎日、雨ばかりだ!過ごしにくくて困る」
「毎日、晴ればかりだ!植物が枯れるじゃないか」

…と、

起こっていることに対して
何が正しくて、何が正しくないとか
何が成功で、何が成功でないというような
自分のものさしで評価や評論をしたり、

自分の「決めつけた思い」があると

たちまち
その出来事は苦しみや悩み、不平不満に変わります。


あらゆる現象には
そもそも良い悪いなどの色はついていません。

色をつけているのは
自分自身のものさしと、
自分自身の思いです。

だから
現象としては、存在していても
あーだ、こーだという色は、
そもそも、ありません。

でも、人は、分からないからこそ
意味をつけたがり
区別したがり
知を得たいと思い
納得したいし
腑にも落としたい…

そうゆう煩悩からは逃れられないから
色をつけて、物事を分解して考え、
どうにか理解したいと思うのでしょう。

でも、すべては、ただ、そうなだけで、
それを、そっくり、そのまま受け入れたら
悩みには、なりません。


それどころか、
起こる出来事を、そのまま受け入れると、
日々の暮らしの有り難さが身に沁みて
感謝が溢れるようになります。

今、私は、耳の不調のおかげで

いろんな方々に支えられ
想ってくださっていることを感じる日々を
有難いとしか思いません。

そして
耳というのは
距離や位置をはかり
目の役割も担っていること

耳というのは
食事の味を深めたり、香りを嗅いだり
口や鼻の役割も担っていることを知りました。

起こる出来事に
良い悪いもありません。

雨も晴れも、それ以外の日も、
全部必要で
完璧なバランスで成り立っています。

ただそうなだけ。
とてもとても有難いこと。

すこやなか一日を。