おはようございます。

夜の間に、よーくしゅんでくれたお庭畑の大根や大根葉や小松菜の朝ごはん。





ここ数日。
学校から帰宅する娘たちは
開口一番
「ママ、耳どう?」と聞いてくれ

ちょっと私がお買い物しよう、、て時でも
手を繋いでくれたりして
いつも以上に優しくて

あまりの嬉しさに
娘たちを「ありがとう」と見つめていたら

「ママ、めっちゃ嬉しそうやん」と
笑われて、娘たちも嬉しそうにしてくれています☺️笑


さてさて…

3人の娘たちは、
私によく「ママ、かわいーい♡」と
たくさん言ってくれます。

それは私が
娘たちが小さな頃から、今も変わらず
「○○ちゃん、かわいーい♡」とよく言うからだと思っています。

娘たちが手を止めて
私の話をたくさん聴いてくれるのは

小さな頃から「ママ、見てー!」と言われた時に、忙しくても必ず手を止めて
「ん?なに?」と
娘たちの話を一番に聴くようにこころがけてきたからだと思っています。


『してきたことは、かえってくる』
…という言葉がありますが

なんだかその言葉は
子育てから生まれた気すらしてしまいます。

してきたことが、本当にそっくりそのまんま、かえってきていると感じるからです。

一言一句、同じ口調、同じイントネーション、同じ相槌で返ってくるので
笑いそうになります😂


娘たちとの
そのへんでするお買い物デートも、
河川敷のお散歩デートも
どれも飾らないものばかりですが

お花や空や田畑を見ながら
水筒のお茶をのんだり、
ぽっけに入れたお菓子を半分こしたり
おむすび🍙をひろげてみたり…

「さいこーだね!」と笑い合って過ごす時間は
たまらなくしあわせです🌷


娘たちに
「食べたいものある?欲しいものある?行きたいところは?」と尋ねると

「満足だよ!ママがほしいの?行きたいの?」と尋ねられます。

わたしは笑顔になって喜んでいる娘たちの姿を見ていたいだけなので、

「ママに付き合ってくれて、ありがとう。
嬉しそうに、楽しそうにしている姿を
見せてくれて、ありがとう。」
と言います。


わたしは、病院やお寺で
いろんな世代の
いろんな方々の家族関係の経過が見える場所で
過ごす時間が長い人生でしたので

子育ての終盤あたりからは
子供たちと親との関係において
逆転現象がはじまるように見受けています。


子供たちに「仕事が忙しいから」と
寂しい思いをさせてきていたら、

いずれ自分も「色々忙しいから」と子供たちに言われ、寂しく感じる日がくるかもしれません。

子供たちに「しっかりしなさい!」と
尻を叩いていたら、

年老いていく自分に子供たちは
「ボケとらんと、しゃんとして!」と言うようになるかもれません。笑
 
スマホを片手に頷いていたら
スマホを片手に頷かれる日がきそうですよね。

お金で解決するような愛情表現をして
育てていたら
お金でサクっと解決される老後になるでしょう。

「食わせてきてやった」「養ってやっている」「文句を言うな」と恩着せがましく子育てしてきたら
「面倒見てやっている」「文句を言うな」という時が、いずれやってくるのかも。

子供が失敗しても「かわいいやん!」「大丈夫!大丈夫!」て笑っていたら

歳を重ねて失敗の増えてくる出来事も「おばあちゃん、かわいい。大丈夫」て笑ってもらえそうです。

でも、「もー!失敗するから、やめときって
言ったのに」と言って育ててきたら

いつか「失敗するから、おばあちゃんにさせたらあかん」
と言われる日がくるんでしょうね。

親子の関係は代々繰り返される…は
そうゆうことです。


私が子育てで一番気をつけてきたことは
簡単です。

「自分がお母さんにされて悲しかったこと
寂しかったことを、娘たちに絶対しない。

自分がお母さんにしてほしかったこと、
自分がお母さんとしたかったことを
思いっきり娘にしてきた」

それだけです。


だから彼女たちは
私をよそのお母さんと比べないし
私とのデートを一人一人してくれ
私の得意や好きをほめて認めてくれ
私を否定することは、ありません。

私の悩みも「ママの悩み」でなく
一人の人として考えて答えてくれます。

「ママは、どう思う?どうしたい?
ママは、それを選んで辛くない?
ママがしたいように、したらいいよ。
答えはママの中にあるよ。それを応援するよ」

私が、彼女たちに言ってきた言葉
そのまんまが、いつもかえってきます。


だからもし
私が「なにか」、、
子供に不満や不足を感じたら

子供に私が「なにか」を、してあげられていないからだな、、と
すぐ行動を改めるようにしています。


蒔いた種どおりの花が咲きます。

長いようで短い子育て。
十数年もすれば
我が身にまったく同じ形でかえってきています。
自分のしてきたことの、答え合わせ中です。

すこやかな一日を。