おはようございます。

昨夜ことことのりんごジャムのヨーグルト🍎
残りもののスープも味を変えて









昨夜、野草師匠と @yasodaisuki 
教会やお寺の建物が
「似ているところあるよね」「なぜだろう?」
…と話をしていました。

築地本願寺が仏教なのに
キリスト教のような教会風な建物なのは
なぜだろう??て。


私は今までに
何カ国かの、教会や寺院に訪れてみたことがあるのですが

どの建物も
どこかが左右対称になっているとか、、
半球の天井には
曼荼羅のように対称に模様が描かれているものばかりです。

なんだか、それは
自分の隣にいる人や
自分の周りにいる人は
鏡となる存在だよ、、、を表しているのかも、、と思いました。

おまけに多いのが「モザイク」の建築だったり「モザイク」の絵が飾られていたり
もしくは
「ステンドグラス」で細かく彩られていたりします。

なぜ、、
立派な、一枚壁どーーーーーーーん、、とか
豪華な、一枚ガラスどーーーーーーーん、、とかではないのでしょう?


もしかしたら
そのカケラひとつひとつが
いきものの命を表していて
ひとつでも欠けたら、成り立たないでしょ?

…を表しているのかもしれないと思いました。



いろんな宗教を信仰する友人が私にいますが

みんなみんな「自他の平和」を願い
「神様や仏様を敬い」
「神様や仏様に愛される生き方」をしたいと
日々を過ごしています。

結局は、どんな宗教も
平和は、愛という結論に至り

表現の仕方は違えど、
どの宗教も、つまるところ同じような内容になり、同じような建物になるのかもしれないなぁ、、と思いました。


おうちの中は、心の中を表している、、というくらいなのだから

教会や、お寺や、神社が
同じような空間になるのは
当然のことかもしれませんよね。


ちなみに
赤ちゃんが生まれる助産院や、
人が亡くなるホスピスも
似たような空間だそうです。

生死を
扉のどちらかから開けるか…だけの違い。

人の生きる根っことなる宗教も
いろいろあるように見えて
本当は、たったひとつなのかもしれませんね。


すると朝
野草師匠から

「なんか腑に落ちました*° 
       親鸞さんが見たもの 

  キリストは日本に来て 
   仏教と神道を学んで 
  最後は剣山のコリトリで 
   亡くなった*°

       親鸞さんが見たものは
  ネストリウス派の聖書
   なんだなぁって♡ 

  だから築地本願寺があんな 
   デザインなんだなぁって*° 

        大好き浄土真宗♡」

そして、朝
お坊さんのかなちゃんからも
@manabekana 

素晴らしい活動、情報発信をされている
環境活動家の谷口たかひささんの初著書が
出版されるそう。
『48の常識』
だそうです!
@takahisa_taniguchi 

『阿弥陀さんの48願やん』と大興奮✨✨



この世は争うように 
仕組まれているだけ
 本当は一つ。ただ一つ。

みんな、仲良くなれたらいいね。
仲良くなりましょう!
手を繋ぎましょう☺️

すこやかな一日を。