おはようございます。

カフェオレボールに
おいしいコーヒーに、茶筅で立てたミルクをいれて。



さて…
昨日は、父の誕生日で実家へ🎂

70代の両親と話をしていて

私の身に次々と降ってくる
いろいろな不思議な話をし

食べたいとか
遊びたいとか
旅行したいとか
服や靴が欲しいとか
こうなりたいとか
ああしたいとか
どこかへ行きたいとか

そうゆう思いが、小さく小さくなってきていて……ほぼ無くて

食事も一日一食で足りるほど、お腹もすかないし

正直、美容も興味が無くなっていて

清潔であるためと、
友人や好きな人が施術してくださっているから
かろうじて続けているものの
それすら、やめてしまいそうな自分が
顔をのぞかせたりします。

身体も心も元気だけれど
いろんなことに興味がなくなっていく自分を
不思議だなぁと
客観視しています。

そんな私を見て、両親は
「そんな風に、欲しいと思わなくなるのは最近のこと。70代くらいからやったよ?早すぎる。
でも大きな病気を長いことしてきたからかな。」
…と言っていましたが

1.2年くらい前から急激に
自分の進退に
不思議なくらい興味が無くなってしまいました。


よろこびを感じることといえば…

空や花や山や海や大地といった自然を見て
鳥や虫たちの声に耳を澄ませる時間であったり

家族や友人が
すこやかである姿を見ていることであったりします。


唯一、
これから先ゆくものたちの為に
私にできることを育んでおこう…と

豊かな土づくりと、種を残すこと。
見えない世界との大切な繋がりを
絵と文で残し続けています。

そして私のまわりにいてくださる
親しいみなさまもまた
「後世のために、繋いでいくものを」と、
地球を守る生き物として、その点を生かすはたらきをなさっている方々ばかりです。

・ 

またいつか、、
「〇〇したい!」「〇〇ほしい!」と
変化する時がくるかもしれないけれど

今は
空を流れる雲のような感覚で…
樹木の葉が風に揺れるような感覚で…
遥か彼方にぼんやり焦点が合うように世界が見えていて…
そんな自分をおもしろいなぁと客観視しています。

もし、私が
行動や、結果などの観点において
「以前と同じ自分」に固執していたならば
今の自分の感覚に対して
苦しみや悩みをおぼえていたと思うけれど…

「今、私の心はこう感じる」を大切にし
日々を過ごしています。

どんな自分も、この私。

自分を誤魔化さずに
自分に素直に
自分に無理をさせることなく
そのままを生きていよう…て思います。

なにをしていても
今ある命を深く味わい
今をよろこび生きる

ただ吸って
ただ吐く
それこそ尊いことだと感じます。

それが、
気持ちよくわたしの命が輝く日々。

すこやかな一日を。