おはようございます。

朝から
ねこたろうに花壇のお花を掘り起こされ
早朝、寒い中、それを元に戻してきました…(^◇^;)

「あー!また!」と私に言われて
朝ごはんも
シッポだけしか見せない、ねこたろうです。



そんな、ねこたろうを
おこたに入って
足でサワサワと触るのが
冬のしあわせな日課です。

ぐうたらりん。です。


さて、そんな、
おこた宇宙空間でスマホを見ている時
何年か前にオアフ島の本堂で個展をさせて頂いた
住職の友人ノリさんからメールがきました。

面白かったので、私の感想もまじえてシェアします。


「供養」の本当の意味を、ご存知ですか?

本当の意味は
「自分以外は、悟った人。
全ての人、生きとし生けるものから学ぶ」
…という意味だそうです。

お経「無量寿経」の中に
「供養諸仏」という教えが出てきます。

私たちは「供 養」を、亡き人にお供え物をして、安らかに眠ってもらうために、おまいりをする…というような意味で使っていますよね?

でも、
このお経に出てくる「供養」の意味は違います。
それは「学びにいく」という意味です。

それでは、誰に学ぶので しょうか?
それは「諸仏」に学びます。

では、諸仏とは、誰か? 

お釈迦さんは、こうお話されています。

「あなた以外のすべてのものは、
悟っていると想像してください。

彼らは、あなたに完全な忍耐、智慧、慈悲を 学ぶために手助けをしてくれる先生です」と。


つまり「諸仏」とは
「私以外の人々や
生きとし生ける動物や植物すべて」

すべてが、我が師。先生。


「供養諸仏」とは、
まわりにいる人たち、生きとし 生けるものから学び、目覚めをいただくことだということ。


こたつの中で眠るねこたろうも、我が師。
アトリエに住みついている蜘蛛も、我が師。
畑に実る野菜たちも、木の実も、我が師。
寒空を飛ぶ鳥たちも、我が師。
ゴキブリや蚊も、我が師。
あの人も、この人も、その人も、我が師。


『いろいろな先生「諸仏」が、いますね。
「供養」なる学びをしましょうね。』

…と友人ノリさんがメールをくれました。



毎日
うさこに、わたしの大切な本をかじられます。

毎日
ねこたろうに、球根を掘り起こされます。

最初は「もぉ!」て怒っていたけれど…

おかげさまで
本への執着も、無くなってきました笑

おかげさまで
ささやかな楽しみを奪われても
おもしろいって笑えるようになりました…笑笑

思い返せば
出会ってきた、みんなみんな。。
私に様々な忍耐、智慧、慈悲を 学ぶために
手助けをしてくれる先生だったのだ…って思います。

欲が小さくなればなるほど
執着がなくなるので
肩に力もはいらず
そのまんまを、いただくことができるので
楽に生きられるようになりました。

すこやかな一日を。