おはようございます。
ゴキブリの話を2日連続で買いたら
フォロワー3人減りました🤣
でも、お坊さんのかなちゃんの、バンドメンバーみょうじょうさんと、つながりました♩
素直に自分のままを生きて
楽しめる人とだけつながっていたら充分です。
合わない人には、好かれない方がいい…と
私は思っています。
人間の生涯は短いですから。
さて、一昨日。
久しぶりに駅の中にあるお店の中を
ふらりと歩きましたが…
世の中はクリスマス色やクリスマスグッズが並ぶ季節なのですねぇ。
うちは、、
おうちが、お寺という理由で
「ハロウィンもクリスマスもしない」
…のですが
仏教だけしか知らない…というのは
曇鸞大師が著された『往生論註』の一説
「蟪蛄春秋を識らず。この虫朱陽の節を知らんや。」
これは「セミ(蟪蛄(けいこ))は夏しか生きられないので、春とか秋を知らない。それは夏も知らないということ」
つまり仏教だけしか知らないのは、仏教を本当のところ分かっていないことだと思うので
私は他宗教を知ることは
仏教を学んだり感じるためには
とても大切なことだと思っています。
だからキリスト教の友達や、ヒンズー教の友達や、神道の友達の話、
娘の学校で聖書の話を聴かせていただくたびに
宗教学の繋がりを見つけることが、楽しいです。
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新約聖書、ルカの福音書の9章
46〜48節
ある日、
イエスの弟子たちは「俺こそがイエス様の一番弟子だ!」「いやいや、私こそイエス様の片腕だ!」などと、「誰が一番えらいのか」について論争を始めたそうです。
イエス様はそんな弟子たちをみて「そういうふうに偉さを誇示するのではなく、皆の中で、一番小さい人が一番偉いのだよ」と教えました。
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どういうことか、、と言うと
イエス様は、何かを成し遂げた時こそ、自分を小さくできる人こそが一番えらいのだ、と言われたそう。
自分の功績を見せびらかすのではなく、まるで何事もなかったかのように振る舞う、そんな人が一番えらいのだと。
人はどうしても、何かを成し遂げたり、良い成果をあげると、他の人にアピールしたくなるものだし、
それを「自分はえらい!」とか「あの人より上だ!」とか思ってしまいます。
競争だらけの争いの絶えない世界が現代社会です。
でも、そんな競争には乗るな!と。
人間にとって、目に見える「えらさ」なんかよりも
ただ子どものように神様を受け入れられるかどうかのほうがよっぽど大切だとイエス様は言いました。
神様を本当に受け入れたのなら、自分が何を成し遂げたとしても、神様の御業なので「自分はえらい!」とか「えらく思われたい!」なんて気持ちは起きなくなると。
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仏教でも、同じようなお話があります。
自分にとって良いご縁を頂いた時に
「自分の成果」ではなく
「仏さまのお手回し」だと考えます。
すべての出来事を「おかげさま」と思える時
「自分が偉いから」「自分が凄いから」など思わず
「与えられたご縁の中で、有難いと生かされている」
という風に感じられるようになります。
また、自分にとって悪縁な出来事であっても
イライラした気持ちもなくなり
「そういう風に、良きに、おはからいくださっているんだろう。お守りくださっているんだろうなぁ」と思います☺︎
どこにいても、どんな状態でも、
いつもいつも阿弥陀さんが私たちに
寄り添ってくださっています。
今日もすこやかな一日を。
今朝からストーブ、、、だしました。
猫と、全身チェック柄の人間が
仕留められた模様