おはようございます。



朝、旦那さんと話をしながら食事するのですが

「毎日毎日、
山のように、たくさん人が亡くなるなぁ」という
言葉が、お寺の我が家ならではだな…と思いました。

「みんな持って死ねへんものを生涯追いかけて
人生の終わり頃に…なにやってたんやろ…て
気づくのは辛いなぁ。」とも。




さてさて、、、
そろそろお風呂屋さんが気持ちいい季節になりました♪大好き、お風呂やさん。
毎日でも行きたいくらいです。

老いも若きも、男も女も、みんなスッポンポン。

ひとたび外に出て
ひとたび裸なんぞになってしまえば
肩書きなども、ふっとびまして
極悪人も、聖人君主も、社長も、僧侶も、作家も、
なんもかんも
ただの人◎

そうゆうの、好き。

人も、他のいきものたちも
分け隔てない世界でありたい🌿

「諸法無我(しょほうむが)」という言葉があります。
例えば、社長は、会社に行けば社長…
家庭では、誰かの夫であり、誰かのお父さんであったりします。

そんな風に私たち誰もが
「この場面では、こうゆう私」というふうに
「いろんな私」を生きています。

でも、ひとたび、飾りを取り払い
すっぽんぽんになってしまえば、
みんな「ただの人」です。

ただの人である私たちは誰もが、
「諸行無常」の中にいて
いつか老いて、いつか病気になって、いつか死にます。これがあるがままの人の姿です。

でも最近は、
「あるがままに生きましょう」と言いながら
「歳をとっても若くいましょう」という混在したメッセージがあちらこちらで増えました。

お寺に長いこと住んで、
人の生涯とは、なんぞや?
人のしあわせとは、なんぞや?
…を観察していると

それらのメッセージは
矛盾していそうだなぁ。。

さすが人間の世界は嘘偽りで出来ているなぁ。。
と思ってしまうのです。



「歳を重ねるという真実」が、
絶望や、不安や、悲しみの種にならないように
本当のことを知っていくことは
大切であろうことだな…と思います。

しわしわに老いていき…
どこかしらが少しずつ萎んでいき…
枯れるように死んでいきます。
草花と同じです。
これが、ごくごく自然な姿です。

老いも、病気も、死も
悪いものではありません。
「老病死を知ることは、生きること」


生きることが「足し算だらけ」の世の中では
いつか、その重い荷物を持てなくなる時
一気に山から転げ落ちてしまいます。

それは、とても、苦しいです。

ゆっくり、のんびり、荷物をおろしながら
まわりに大事を、お譲りしながら
次の世代へとつなげていく。

日々、心も、お顔も
まあるくしていけたらいいですね🌷

すこやかな一日を。




#朝ごはん
#生老病死