おはようございます。


今日は、ほうりこむだけの

蒸篭カンタン朝ごはん♪♪






さて。

よく人は

「特別」になりたいと願ったりします。


稀なこと、、とか

奇跡的なこと、、とか


そうゆうことや、

そうゆう存在になることを目指したり

味わってみたいと願ったりします。


目指す、願う、ということは

今、まだそうではない、、、

今、特別ではないと思っているからなんだけど、、


本当は、今、この、普通だと思っている日々が

とってもとっても

特別で、稀で、奇跡です☺️



その

「普通だと思っている日々」を

どういう形であれ、失ったことがある人は


「普通がいちばんしあわせだ。普通は特別なことだった」

と、必ずお話をされます。



人は「特別」を良いとか、悪いとか、

に区別してしまうけれど

本当はそうではなくて


ものすごく重い病気になるという特別もあれば

ものすごく有名になるという特別もあれば

宝くじに大当たりするという特別もあれば

自然災害に合うという特別もあれば

それはそれは、たくさんの特別が存在します。


それらの「特別」を体験して

いろんな日々のあたりまえだと思っていたことを失ってみて、ようやくはじめて

「普通だと思っていた日々も、特別であったのだ」

「普通だと思っていた日々は、しあわせなことであったのだ」


と気付かせてもらえ

それを守り味わいたいと思うようになります。



結局、誰もがみんな


ごはんを食べることができて

着る服があって

雨風しのげて眠れる家があるから


特別になりたいなんてことを

夢みる余裕が生まれるのだけれど


衣食住がすべてできるということは

とてもとても有難いことで、

稀で、奇跡で、特別なことです。


あまりピンとこないかもしれないので

かんたんに説明してみると


野菜や米や麦を作ったり

魚をとったり

牛や馬や鶏を殺したり

そうゆう人が居てくれなかったら

私たちは、たちまち食べることができなくなります。


蚕を飼ったり、糸をつむいだり、

機織りをしたり、裁断したり、

そうゆう人が居てくれなかったら

私たちは、みんな裸ん坊です。


山を守り、木を切り、設計し、

組み立ててくれる人がいなかったら

私たちは、野宿の日々です。


今、目の前にある

「普通だと思っている日々」は


根っこの根っこまで「おかげさまの日々」です。


ありがたくって、

稀で、奇跡で、特別なことの「積み重ね」で

存在しています。


それを、みんなで守り続けなければ

いずれ失ってしまうものです。



人は、だれかに

誉めそやされるような

分かりやすい特別を求めたりしますが、


よーく、よーく、根っこを見てみてください。

根っこを司る人たちの思いや、

それを形にした行動が素晴らしい事実。


水面だけでなく、水の中の世界を

地表だけでなく、土の中の世界を

見ためだけでなく、心の中の世界を

有名な世界だけでなく、無名な世界を

もっと観察してみると


そこに、おだやかな、たいせつな根っこが

いっぱい存在することに

気付かされます。


さぁて、境内掃除をしてきます。


すこやかな一日を。