おはようございます。


ズッキーニとそら豆の

おいしい季節がやってきました♪♪

今年はお庭でズッキーニも育てるつもりでいます!





さて。

昨日は、次女のポシェットを借りてお出かけ。

一昨日は、長女のトップスを借りて接骨院へ。


と、そんなことは多いのですが


学校から帰宅した娘たちに

「今日、借りたよ〜」と、

その姿を見せると


「ママ、似合うやん。ママ着たら?あげよっか?」

と、娘たちは言います。


この言葉は、

私がよく娘たちに言う言葉です。


「ママ、その服かわいい!いいなぁ」と言われたら


「ん?いる?あげよっか?」

と言ってしまうんです笑


すると娘たちは

「え?いいの?ママは着ないの?」

と言います。


「ママより、〇〇ちゃんのが似合うから、着たらいいよ。また、ママは借りるから大丈夫」


「ママ!ありがとう」


だいたい、このパターンです。



子供たちって

親の『言うこと』は聞かないけれど

親の『すること』は、そのまんま

自然にマネちゃうんだなぁと感じます。




よく

「えー、自分の親のようにはなりたくない!」

という言葉を聞いたりしますが


娘なら母親と同じように

息子なら父親と同じようになっていくんだな


祖父母と両親の関係だとか

旦那さんの両親と旦那さんの関係だとか

友達と友達の子供たちの関係を

観察していて思います。


それは手振り身振りの角度すら同じで

話す言葉えらびも

顔の筋肉の動き方も

行動までも同じです。


むしろ

「言われたことは残らない」けれど

「目に焼きついていることは残る」ようで


人はその景色を無意識に追って生きているんだろうな、、と思います。


わたしは

多くは語らない明治生まれの曽祖母の慎ましい姿と、

僧侶だった祖父の姿の記憶が鮮明に残っていて


やはり同じような

日暮らしを、わたしは辿っています。


朝、草引きをして

草花や畑の世話をして

壊れたものを直して

朝ごはんをゆっくり頂き

動物を可愛がり

掃除をし

身の回りや、自身を清潔に保ち

あまり多くを持たず

人に親切で

毎朝毎夕、仏さまに手を合わせていました。



何を大切に生きているかは

その人の行動となり

その姿を見たものに

見事にうつしだされていくんだなぁと感じます。


人という鏡があるおかげで

お育てされていくんでしょうね。


すこやかな一日を。