おはようございます。


今朝。ねこたろうが

お庭の花を見に来ていたハトさんに

飛びかかりハトさんを驚かせてしまいました(T . T)


いろんな鳥さんが来るようになった庭に

「ツバメはこないね」と話をしていたら

猫や蛇が天敵でした。 


15年ほど生きられる生体なのに

60%1年から1年半の寿命で終えるそうです。

人間の割合に直すと、6.7歳で終える人生です。




さて、、時々こんな話題を耳にします。


「まだ落ちつくのは早いかなぁと思う。

いろいろ経験して、社会のために活動して、

いつかはゆっくり出来たらいいなぁ〜って思う。」



そのあとも

黙って聴いていると


「いつか、ゆっくりしたい」


「いつか、パートナーと楽しく会話して

穏やかに過ごせたらいいなと思う」


「いつか、子供たちとゆっくり過ごす時間を作りたい」


とおっしゃられています。


「いつか。いつか。」


でも、残念ながら

そのいつかは、やってくることはありません。


「いつか」は「何年の何月何日ですか?」


どこまで走れば、その「いつか」を

自分に許可できますか?


そのいつかを「今からする」と決めた時に、

その未来へと繋がっていき、

今ここにあった「しあわせ」に気づくことができます。

「いつか」が「今から」始まります。







「朝には紅顔(こうがん)ありて、

夕には白骨(はっこつ)となれる身なり


という真宗の葬儀で読まれる

「白骨の章」というものがあります。



朝、「いってきます」と元気に出掛けていった者が、夜には変わり果てた姿となって帰ってくることもあるということです。

それは自分や家族、友人みな、私たちのことです。



私たちは

今日失うかもしれない、

明日失うかもしれない命を生きています。


馬車馬のように働いて、

お金や財産、地位、名誉をかき集めたのに
今まで信じていた、それらすべてに裏切られて

一人で死んで行かなければなりません。



あわれというも、なかなかおろかなり」とも

白骨の章に書かれてありますが


死んで行くときに置いていくものばかりを求めて生きていたら、白骨になる為に、生まれてきたようなものではないか。


それではあまりにも哀れではないか

それではあまりにも愚かではないか。


と、いう意味です。




とても儚い私たちの一生です。


「いつか」を「今」に置き換えて過ごしても

人生に早すぎるなんてことは、ありません。


20歳からの20年と

40歳からの20年と

60歳からの20

同じ20年でも、まったく違ったものです。


本当に一番大切なことを優先して

日々を大切に。


すこやかな一日