おはようございます。

大あくびの、ねこたろう。
しょうがごはんおにぎり🍙の朝ごはん





さて、、、
昨日はお寺の行事。
80歳近い、いつもご法話くださる
私の大好きなお寺の大先生に

「先生!見てほしいです‼︎」とお願いして
アトリエのブランコに乗って頂きました♪
わたしの作ったキャラクターの人形を抱っこしてもらい、とーーっても、とても嬉しかったです☺️❣️

わたしは、先生のご法話を20年以上、
繰り返し繰り返し聴かせて頂いたおかげで
今のように生きられるようになりました🌷🦋
感謝してもしきれません。

そんな先生のご法話はもちろんですが、
座敷でのお接待の際
いろんな、お話をさせて頂きます。

昔は悩みを聴いてばかり頂いておりましたが
昨日は
「アリのような小さな生き物は、
人間のこと、どんな風に見えているんやろね」
…と言う話題から

アリたちも、私たち人間も、
自分より、小さすぎるものも見えなければ
自分より、大きすぎるものも見えなくて

阿弥陀さんは、実は、
ものすごーーーーーーーーく大きくって
人間には見えないだけかもね、、、
と笑い合いました。


たしかに存在するけれど
人間の目で把握しきれないものは
たくさん、たくさん、あります。

空気や香りだって
他の動物には色付きで目に見えているかもしれないし

微生物や細菌が見える動物だって
いてもおかしくありません。

昼間の月も、鳥たちには
見えていそうです。

たかだか人間の視力など、良くて2.0
せいぜい数十メートル先のシルエットが
分かるくらい。

私などメガネやコンタクトが無ければ
足元すら見えません。手元もあやしいものです。

老眼になった今となっては
近くも遠くも分かりませんから…笑

おまけに、意識していなければ
まったく気づきもしない、見てもいない
ふし穴だらけの目をした人間です。

「こんな近所に、美容院が?服屋が?花屋が?接骨院が?マッサージ屋が?」
…というほど

知っているつもり、分かったつもりでいても
なぁ〜んにも見えていない、分かっていない
大バカものが人間です。

見えていないのに、見えたつもり
それを補う聴力もないくせに、聴いたつもり
それを理解する頭もないくせに、賢いつもり
筋力も体力も動物の中では
相当劣っているのが人間です
おまけに感情すらコントロール不可の

いちばんの大バカもので
いちばんの愚かものです

それが、私たち人間。

弱くて、もろくて、どうしようもない私たちは

まわりの動物や植物や大地や空や海に
助けて生かせて頂いて
ようやく、今ここにある命です

それすらも分からない生き物。


人の間に存在する万物に
助けて頂いてしか
生きていけないから
「人間」と呼ぶのかな、、と思います。


英語の「human」も
ラテン語のhumanusが語源なのですが、
インド・ヨーロッパ語族祖語まで
さかのぼると、、、

hu-は、「大地」を表す単語が由来です。

つまりhumanとは、『大地の人』

大地とつながってこそ、
大地のおかげで生きてこれたはずの私たちhumanです。

しかし
大地や、大地から芽吹くものたちから離れて、
大地を破壊しながら
大地と寄り添うことや
大地に感謝して生きることを忘れた我々人間は
そのうち
生きていけなくなるでしょうね

そんな火の粉が
自分の頭に降り注いで、燃えて、
ようやく「アチッ!」となり
「我ごとか!」…と慌てるほど
私たち人間が、いちばん、おろかものです。

だから阿弥陀さんが、お立ち上がりくださり
どうにか助けにゃならん!と願ってくだり
お救いくださる。

だから、せめて
その有難い、お話を聴かせていただき
南無阿弥陀仏と唱えて、手を合わせる。

それなら、人間の私にもできるから。

すこやかな一日を