おはようございます。

足元にいた
ねこたろうに気づかず
手をふんづけてしまい「あーーーー」という人間のような低い叫び声に、驚いた朝です。ごめんよ。




さて
昨日、友達の画家さんが
「ヘッドホン無しでも歩ける静かな場所で落ちつく」
と投稿されており、

「あ!同じ」と嬉しくなり
思わずメッセージをしました。

昨日はじめて「私、聴覚過敏なのか」と知りました。

私は、環境音や人混みが苦痛です。
すぐ手で耳を塞いだり
電車内や街を歩く時は、必ずイヤホンをしています。
流す音源も決まっています。

家でも、平日は保育園の音が気になってしまうので
常に静かなBGMをかけて
自分を調整するようにしています。
土日は鳥の声しか聴こえないので、自然音の中で過ごします。

娘たちの部屋から流れてくる音楽や
旦那さんや友達の車に乗る時に
ラジオや激しい音楽が流れていると
しんどくなったり、動悸がすることがあります。

自分の周波数と違う音や色が
身体に流れ込んでくる感覚があり、
めまいを起こしたり「ゲー🤮」て吐きそうになります。

なかなか操縦が難しい身体です。


私が自然の多いところや
人の少ないところに行くのは気持ちが落ち着くからです。

そうして絵を描いたり、物を生み出すためのモチベーションを整え続けているのかもしれません。

わたしは、人は好きだけど、
誰かと時間を共に過ごしたり、
人と群れることが、あんまり得意ではありません。

それは、相手の欲求を色や空気で感じてしまい
相手が心地よくなるようにと動いてしまい
気を遣いすぎるあまり
結局疲れ果ててしまうからです。
ひどい時は、頭痛が止まらなくなります。


だから、一人でいる方が好き。


でも、会いたいな!て思う
友達もたくさんいて
時々お出かけしたり、遊んだりして
楽しかったなぁ〜!となるのですが

自分の中に流れている気が微妙に変わってしまい
そうなると、しばらくの間、絵を描いたり制作できなくなります。刺激が多いと眠れなくなったりします。

私にとって、草花や土や動物と触れ合うことは
彼らと会話して
チューニング合わせをしている感じです。

目や耳、鼻、口、毛穴、、からだじゅうから
彼らの放つものを吸い込んで、、、
自分と自然が一体化して、ぐるぐるとまわりだすと
絵が手からこぼれ落ちてきます。


作家の山田詠美さんが
「私のことだま漂流記」というエッセイの中で
書いていらっしゃるのですが

 人間は二種類に分けられる 

人には木漏れ日を必要とする者たちとそうでない者たちがいる

このくだりを読んだ時、
わたしは、激しく光が当たると、おそらく
枯れてしまう人間で、

大きな木々の足元で、時おり光があたるくらいの方が、気持ちよく生きられる植物なんだろな…と。


子供の頃は、まわりの先生や親の期待に応えるべく
たくさん光のあたる場所で活躍してきたけれど
自分らしくない咲き方をして、
身体も心も、いつの間にか枯れてゆきました。

まわりの期待や、まわりの評価を気にする前に

自分はどんな草花なんだろう、、?と
光や水の加減を調整してあげてみてください。
自分が愛らしく自然に咲くことのできる環境を
自分で用意してあげてください。

無理して頑張って咲かなくていい。

枯れないように、
やさしくやさしく咲いてほしいです。

そうしたら
いつのまにか、
まわりの期待や、まわりの評価に捉われていることは
取るに足らないものだと気づくことができるから。

すこやかな一日を。