おはようございます。


なんだか朝が長いなぁ〜と思っていたら

いつもより1時間ゆっくりの、お目覚めでした。



さて。

先日、画家で、お坊さんでもある友達かなちゃんと

「亡くなった人の顔のように生きたいよね」

とメッセージをやりとりしていました。


え?と思われる方もいらっしゃる

表現だと思います。


どういうことか?というと

お亡くなりになった時に、別人のように

お顔が変わられる方がいらっしゃいます。


私の父方の祖父も、そんな一人でした。


学校の先生をし、

クソ真面目に、がんばって、なんでも1番を目指し、歯を食いしばって生きているように感じる人でした。


そんな人は身体中に力が入っているので

亡くなって、全身の力が抜けたとき、お顔が変わられます。

本当に、やわらかな仏様のお顔になられます。



一方

私の母方の祖父は、お坊さんをしておりましたが

亡くなった時のお顔は

いつもと、そっくりそのまんまの

やさしいお顔のままでした。


仏道とご縁があり「おかげさま」「ありがたい」と

晩年、まわりに頭を下げる生き方をしていました。


死んだら、みんな綺麗。

生きているときから

そんな綺麗なお顔でいたいものです。


生き方というものは

目が物語るだけでなく

顔全体にあらわれます。すこしも隠せません。



どの方にお会いしても

自分の経験してきたことのある状態であれば

「今、この時期の真っ最中のお顔つきだなぁ」と

察することもあり、我が身を振り返らせて頂く機会になっています。



かなちゃんと、人間や仏様の話をさせて頂けて

とても、おもしろいと感じます。


『阿弥陀さんに、いろんな洗濯機に突っ込まれて

グルグル回って、くちゃくちゃになって、

干して、乾いて、ようやく気づかせてもらった!

と思ったら、

また別の洗濯機に突っ込まれて回されるよね」と。笑


学べども、学べども、すぐに忘れるし

綺麗に生きたいけれど、そうも出来ない餓鬼だけど

それでも

「我ら、丁寧に暮らす餓鬼だね」とか

「綺麗に生きたい餓鬼だね」とか

「すこやか日めくり餓鬼だよりにしようか」とか


「はやく、乾いて、畳んで、はいっ!上がり!

って言ってもらいたいよね」

と、お浄土行きを、待ちわびる日暮らしです。


そんな話を笑いながらできる友達に恵まれ

有難いことだなぁと思います。


今日も洗濯機の中をグルグルグルグル。

すこやかな一日を。