おはようございます。

昨夜家族みんなに
「明日はモーニングに行くから6時に起こすからね」
…と言い放って寝たくせに
眠さでアッサリ諦めたという始末…。

結局いつもどおり、おうち朝ごはん。
この間作っておいたリンゴジャムを
ホットサンドにして、モーニング風◎




さて、昨日…
ねこたろう監督に見守られること3時間。
夢中でお絵描きをしていました。

その時間、わたしは
小さな頃の自分を思い出していました。

テーブルに画用紙を広げて
母が目の前の台所で料理をするのを感じながら
いつもお絵かきをしていました。

ずーっと、黙々と何時間も絵を描くことが
大好きで大好きで、、、
紙を切らさずに用意してくれた母。
毎日画材をお土産に持って帰ってきてくれる父。

大きくなったら「絵描きさんになる」と
なんの疑いもなく思っていました。

でも父や母が喜んでくれる職種に就くために
勉強ばかりして、理系人間の出来上がり。
絵描きさんは
わたしの中で遠のいた世界となりました。

でも、大病をして、大切なことに気付かせてもらえ
随分と遠回りをしましたが
ようやく絵描きさんになることができました。

しかし、いつのまにか
絵描きさんは、絵が上手くないといけない…とか
美大を出ていないといけない…とか
個展をしないといけない…とか
絵で表彰されなきゃいけない…とか

そんな付着物を自らつけてしまい
絵を描くことを
とても窮屈なものにしていました。
そんなものは無くても、絵描きさんでいられるのに。


昨日、思いました。

どうして私は
そんなに絵描きさんになりたかったのか?

それはきっと、

『母のそばで安心しながら
絵を描くことが楽しかったから』
ただ、それを続けていたかっただけなのかも…と。

ねこたろうが、ずーっと横にいてくれることで
それがとっても嬉しくて…懐かしくて…ほっこりして
昨夜、思い出しました。
「わたし、これを求めていただけか」って。



「安心の中で絵を描いていたい」
それが、わたしという球根の正体です。

意外と、自分の根っこにあるシアワセは
誰もが実は、そんな些細なことかもしれません。

根っこのシアワセが叶うと
「あれしたい、これしたい」という欲が
無くなりはしないけれど、ほぼ影を潜めます。
それは、手の中にあるシアワセを感じていられるから。


私という球根は、
私という花にしか咲きません。

違うものになろうと咲こうとしたから
違うものに見せかけて咲こうとしたから
病気になって、枯れかけた。

でも、そのまんま咲けば
自然に芽吹いて、今、自然に咲いている。
そして、いつか、自然に枯れてゆく。

それが、いちばん、人間らしく、
弱くて、脆くて、ダサくて、かっこわるくて
どうしようもない姿。

どうしようもない姿だからこそ
どうしようもないほど儚く美しいのだと思います。

この世で、たったひとつしか咲かない花を
一生懸命に、咲かせようと
今を生きるから美しい。

すこやかな一日を。








#朝ごはん
#モーニングごっこ