おはようございます。



先日ストーリーでも書いた

絵画奉納と個展をさせて頂いた

オアフ島にある浄土真宗のお寺パロロ本願寺のご住職から久しぶりにメールが届き、やり取りをしていましたら、2週間前に姫路に、ご法話しにいらしていたそうで驚きでした。



そしてご住職が、


『こないだ、広島でよってきたお寺、和田さんの活動紹介しますね。

掲示板で有名ですが、刑務所の教誨師、自死と向き合うおぼうさんの会なども、されているようです。広島市の繁華街ど真ん中、八丁堀にあるお寺でした。

我々もファイト

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rcc/120462   


と、メッセージが来たので

ピンときて、貼り付けてあるリンクをひらくと


やはり‼︎‼︎

私が昨日見つけて、昨日感動して

昨日インスタグラムで紹介したお寺 

超覺寺さんのことでした。


私の投稿が昨日の朝8時過ぎ

ご住職からのメールは、そのすぐ後のことでした。


仏様のお慈悲が、私に届いています。


いつもいつも、このような「私が合図」と思うことが、私やみなさんに届いています。


目に見えないし、直接つながっていないし、それこそ離れた場所からの働きかけである

仏様のお慈悲についても、

超覺寺さんは、こんなふうな張り紙をされています。


「いつでもどこでも誰にでも届く
   阿弥陀のテレワーク 念仏 成仏 みな救う」


たしかに阿弥陀さんのお働きは

テレワークのようです。


さて、もう一つ

パロロ本願寺のご就職のお名前は、紀昭さん。

私の実家の父も、紀昭さん。

なんだか、すごいご縁でしょ。

わたしはこれを「阿弥陀さんからの合図」と捉えていますが、阿弥陀さんのお慈悲です。



2018年だったか、オアフ島に初めてホームステイした時、ホストのフランキーが

「ゆうたん、おうちお寺でしょ?今、僕はお寺の台所を作る仕事してる。一緒に行くかい?」と

付いて行ったのがパロロ本願寺のご住職との出会い。


住職は、私に

「あなたは自由だね。お寺の奥さんも、あなたのように生きたらいい。次の日、お寺で盆祭りと法話会があるから、たくさん人が来るから、お話して。ゆうたんの歌も、うたったらいい」と言われましたが、

帰国する日だったので、また来ます!と、


2019年個展と歌と絵の奉納をさせて頂いているご縁です。


阿弥陀さんは、私に

広島の超覚寺さんに会いに行け、、て

言っている可能性が高いけれど、私の腰は重いので

もう少し、たしかな合図があるまで、情報収集しながら待機。

いよいよそうだな、、、と感じたら、動くしかありません。

先日の東京行きも、そんな感じで行くことになりました。


私は、自分の意図では動きません。

すべて、目の前に、ご用意されることを

「そうゆうものだ」と受け取り、ありがたいなぁ、、おもしろいなぁと、生きているだけです。

抗わないから、悩みにもなりません。


超覺寺のご住職も、こうお話されています。


「悪いことがあったら誰かを責める、もしくは自分を責めるっていう、その2択しかなかったと思うんですけど、でもそうじゃなくて、誰彼を責める必要のない『そういう事柄の連続なんだ』というところをちょっとでも感じてもらえたら、一喜一憂する必要はなくなってくると思うんですよ。そのときに自分1人じゃなくて、必ず隣りに、もしくは自分の中に仏様がいますよっていう」


すこやかな一日を。