おはようございます。


朝ごはんに

品川駅で買った、崎陽軒のしゅうまい♪♪♪



さて、

よく「好きなことをしましょう」と、言われます。

その通りだと私自身も思っています。


そのおかげで、

体調も良くなり病気が治り、嫌なことをやめて

人生が楽しくなったからです。


でも、この1ヶ月ほど

ごく僅かに、子供の頃から患って、この10年ほど

すっかり治っていた喘息が、すこうしだけ出るようになりました。

嫌なことはせずに

好きなことをしているにも関わらず


更年期?て言葉は気持ち次第だと思うので

私は信じていません。


静かに内観をしてみますが

ストレスのかかることをしている感じもしません。


では、なぜ?どうしてかな?と

疑問に感じていました。


過去にも一度

このパターンを経験したことがあり


その時もしっかり内観し

「好きなことや、楽しむことを『頑張っている』自分」に気づき、どんなことでも『頑張る』ことへの心身のストレスに気づいたのですが


今回は、また

違うことに気づきました。



それは

「自分の好き嫌い、やりたいやりたくないの意志よりも、見えない大きな流れがあるということ」


「身をまかせるしかない」

ということです。


そのように感じたのは

最近毎日少しだけ出ていた喘息が

東京に行っている間、ずっと動き回っていはずなのに

悪化するどころか、発作が出なかったからです。


通常、喘息は安静にするのが良いのですが、逆。




こんな話をきいたことがあります。

あのジブリの宮崎駿監督は

「めんどくさいなー。めんどくさい」と言って

日々、絵を描かれているそうです。


ご本人が描きたいというよりも

大きな何かに身を委ね、こうゆうものを描いてね

ご自身の使命を生きていらっしゃるのかもしれません。


私がジブリのイベントで歌を歌わせて頂いた時に

関係者さんがジブリの寺社仏閣リストのような、分厚いものを見せてくださり、

やっぱりそうゆうことを大切にされている方々なんだなぁと思ったことがあります。


宮崎駿監督の本にも

「自分を信じない」と記されています。


最初はその意味が、私は分かりませんでしたが

今はよくわかります。


昔、私は

「自分の想いを信じて進む」と思っていましたが

今は

「自分のことを信じていません」

それらは間違いを起こすし、自分の都合の良いようにしか解釈しないからです。


人間の脳みそなど、ちっぽけなもので、

その程度のことしか考えられず、欲望に支配されているからです。


大きな流れに身をまかせて

神仏が敷いてくださっている道を

歩むしかないのだと


めんどうくさくても、不本意でも、ちゃんとこちらだよ!て合図をくださる

その道を辿ることを信じています。

そうしていると、物事はスムーズにすすみ

心身の調子も悪くなることはありません。


それは、私の「こうしたい」という思いとは

違ったもののことはあるけれど

それが任せられた仕事というか使命というか

そんなものなんだと思っています。



今回の東京行きも

私が強く行きたい!と願って行ったというよりも

自然にスケジュールされていったものでした。

その証拠に、なぜこんなことが起こるのだろうと、、不思議な縁ばかりでした。


ゴロゴロしたり、畑ばっかり、山の中だけで

過ごしておきたい私の性分。

でも、それは許されていなくて


「大変そう」とか「めんどうくさい」とか、そうゆうことをしないといけないんだなぁと

飛び回って行動している時に

出なかった喘息のことを味わって、気付きました。


好きなことをたくさんさせて頂き

自分のことを満たしたその後は、神仏の仰せのままに。

ということのようです。


すこやかな一日を。