おはようございます。
昨夜はアトリエにこもって、24時まで
ひたすら絵を描いていました。
YouTubeで法話を聴きながら、なるほどなー、、なんて思って、Instagramをひらくと
倉敷で会った秋田犬の小次郎ちゃんパパの
ライブ配信があったので久しぶりに聴きながら。
この方、お坊さんみたいな方なのです。
普段誰かのライブ配信は基本的に観ないのですが
小次郎ちゃんパパの配信は
「仏様のものさし」と「エロ」が入り混じり、
集う人も楽しくて、
ゆっくり耳を傾ける時間がある時は
開きたいなと☺︎
昨日は、開くや否や話題は「ストリップ劇場を観に行った」「それを絵にしたい」というものだったので、
本当におもしろいなぁと思いました。笑
私も病気が治って、やりたいことを
とことんしていった時に
「ストリップ観てみたい!」を叶えてもらい一度だけ
新宿ゴールデン街に同級生の友達が何人かで連れて行ってくれたことがありました。
昭和感溢れる劇場は味があり
なんだか空気の流れが一気に変わる空間。
匂いや色や重さや時間の流れまでも違っていて、薄暗さがたまらない空間。
撮影NGを見張る、背の低いおじさんも人形かと思うほど、昭和な空気感。
しかし、ひとたびストリップショーがはじまると
手足の長い、女優さんのような女性たちが
磨きあげられた体を、軟体動物かのように動かし
ものすごく美しかったのを今でも覚えています。
ストリップって芸術で体育会系なんだなぁと感じ、かっこよかったです。
「どうして、この職についたんだろう?なんで裸になろうと思ったんだろう」と聴いてみたくなりましたが、プロとして誇りをもって
バリバリ仕事している感じは伝わりました。
人になんと言われようと、
そこで表現したいものがあるんだなぁと思いました。
とてもカッコイイ。
小次郎ちゃんパパも「エロ」でなく「芸術」と
お話されていました。
一般的に「見せもの」とされるストリップかもしれませんが、「見る人によっては、芸術的な素晴らしさを見ている」と思うし
小次郎ちゃんパパの
「いろんな人が、いろんな思いで観ている。
刑務所出たての人や、社長や、自殺しようとしていた人など、さまざまな人が、さまざまな想いの中、ひとりの人を観ている。それで、また生きよう!がんばろう!と思えるんだと思う」と。
さて、
そんな小次郎ちゃんパパの配信の中で話は変わり
「めちゃいいんですよ!」と
スタジオジブリの鈴木敏夫さんの本の中に書かれてある「書」をいくつかパラパラと紹介くださったんです。
その中にチラッと見えたのが
『大きい世界だか、広い世界で、生きろ、、』的な内容で、ドキッとしました。
なぜなら、ここ最近『私は小さな世界で生きよう』
『見せものになり、暮らしにくいのは嫌」と思い始めたところだったからです。
すると、ちょうどその話をしている時に
イギリスの友人から珍しくラインが来て
『やっぱりゆかさん実物がいいです。
写真や動画じゃ、あなたの魅力は伝わらない。』
…と来たものだから
私の魅力を伝えたくて活動してるわけではないので
『いいの!目立つと暮らしにくくなるから、
出会えた人と仲良くできて楽しかったら♪』と
返信しました。
そうしたら
『隠れなくていい。
その魅力が分かる人は、良いことしてくれるよ』と友人。
さらに夕方親友からも
私が5年前、講演家として大きく活動している時に
「人を依存させてしまうし、生きる喜びなんて伝えても届かないからやめた」ということに対して
「それは受け取る側の問題であって、発信する側の問題じゃないと思うよ〜!洗脳目的じゃないんやし!
そこから何を得るか、って人それぞれやしね〜」と
話してくれました。
…こういった類の出来事は
今まで何十回とあったのですが
私的に言うと『阿弥陀さんからのメッセージ』です。
「そっちじゃないよ。こっちだよ」て時や
「それで合ってる!そのままいけ!」て時に
分かりやすく私にお知らせくださいます。
活動を縮小させようと、仕事や連絡とれる人を
一昨日1/4に減らしたところでしたが、、、
それを経ての、ここからまた新たにすすめ!て
ことだと感じます。
ちょうど昨日、来春の地元ギャラリーでの個展に続き、来夏頃、とある百貨店の美術画廊で私の個展を考えている…とご連絡を頂いたところでした。
『隠れなくていい』
『見せものになっても大丈夫』
『そこから何かを得て変わる人がいる』
要はこれ以上縮小せずに、次に行け!てことを
阿弥陀さんに言われているんだなぁと思いました。
そして、この文章を書いている時
旦那さんが急に「南無阿弥陀仏」と言ったので
「ひえ!やっぱり阿弥陀さんからのメッセージで間違いない」と思った朝です。
こうゆうことをなさるのが、阿弥陀さんのお茶目さと、面白さだと、いつも思っています。
小次郎ちゃんパパと、
イギリスの友人サトシさんと、
親友千佳と、
旦那さんを通して、届けられたメッセージ。
わたしは、いつもそれを感じとり、流れにおまかせして生きているだけです。
すこやかな一日を。