おはようございます。



私の尊敬する友達の一人に
はるちゃんという
とびきりの美人で、心の穏やかさでいえば先輩にあたる女性がいます。
年齢は私より、うんと歳下です。

彼女は、
今ここにいて、頑張ることなく、すこやかで、朗らか。そのままが美しい人です。
多くの人が振り回されるような欲もなく、今以上を求めずに静かに過ごす、とても素敵な人です。

私のように厳しい両親に育てられた訳でもなく、
重い病気をしたわけでも無いのに

どうしてそんなに、老成した、
人間のゴールのような生き方が、若い頃からできるのか、、、
はるちゃんの精神性は、どうして育ったのか知りたくて、毎月2回ほど会い続け、7年ほど経ちました。



「子育てが終われば、責任も果たし別にすることもない。
いつか人は必ず死ぬ。長生きはしんどいし、老いることにも抵抗はない。長生きは求めていない」

ようやく私も
そんな、はるちゃんの精神性に近づいた今
急速に欲が無くなってきた答えが見つかったように思いました。

それは、
「人の死」を本気で考えたことがあるかだけです。
そして、
「自分でやりたいこと」を行動してきたかだけです。


はるちゃんは小学校5年生の頃に
「死んでしまうことが怖い」「どのような形で自分は死ぬのか」と思い、1ヶ月ほど眠れずに死について考えたそうです。

はるちゃんは、祖父母やご両親やご兄弟にも恵まれた環境なので、その中で自然と答えが見つかったようで

「人はどうせ必ず死ぬ…仕方のないこと。」
と納得し、

それからの10代20代の生き方が
はるちゃんの中では当たり前なのですが
多くの人が世間体などで自分をおいてけぼりにする中

はるちゃんは
「自分にまっすぐ素直に思いきり生きること」を
されています。
その時のはるちゃんの話は本当にぶっ飛んでいて、おもしろいのです。

この行動が穏やかな老成には、
必要な過程なんだと思います。


つまり、30代半ばのはるちゃんの今は
「やりきって満足し、死ぬのを待っているだけ」という状態で、とても朗らかです。

『別にやりたいこともないし、
自分のことは、さておき、
子供たちのために時間を注ぐ』を自然にされています。
だからガツガツギラギラした感じが微塵もなく
一緒にいて穏やかで癒されるんだと思います。

はるちゃんは言います。
「がんばったこと無いから、がんばってみようと思ったりもするけど、無理はしんどいものね」と微笑みながら、そのまんまいつもの
穏やかな暮らしを楽しそうに送られています。

そんなはるちゃんに
「ゆかちゃんも同じ☺︎」「私たち」と言われる今
わたしは過去一番、穏やかに日々を過ごしています。
それは自然のまんまで楽しい日々です。


22歳から36歳まで14年間、死について向き合って
37歳から41歳の5年間、思いっきりやりたいことをやり尽くし、去年くらいから、もう、自分のためにしたいことは、別になにもありません。欲しいものも、思いつきません。

手作りした食事を食べることができて
近所をお散歩できて
お布団で眠ることができたら満足です。

マイペースにものづくりをしたり
お花を育てていたら贅沢なことだと。
人生、十分、楽しかったし、もうお腹いっぱいです。

まだまだ経験しきっていない、これからの我が子や、若い世代に、私の学んできたことが
生きるヒントになるのなら
そのための行動や発信は、体力気力がある限り
無理のない範囲で続けようと思います。

難病の時に毎日思っていた
「死ぬのを待つだけの人生」は苦しみでしたが

今思う
「死ぬのを待つだけの人生」は
ほんのりとした、あたたかさに包まれています。悔いなしです。

変わったのは
わたしの心の中だけでした。


素晴らしい生き方を、
そばで見せ続けてくれるはるちゃんに感謝です。 
ありがとう。

わたしの大切な自慢の友達です。

すこやかな一日を。


#老成
#老成円熟